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浅間神社
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創建年紀は不詳である。元浅間権現社と云ひ、世俗に富士の宮と云ふ。明星輪寺明細記録に浅間権現社二尺七寸高五尺境内東西二十三間南北四間三尺但し一反一畝三歩右古跡にて御座候。禰宜無御座候修善寺持ちとあるが、按ずるにこれ明治初年廃社となった上富士権現社との誤記で御扱いかと察せられる。濃州赤坂宿記録によると富・・・・・・・・・・ |
503-2213 岐阜県大垣市赤坂町2940番地 |
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大垣市支部 2081 |
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浅間神社
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氏子の口伝によれば元禄時代の創祀と伝へられ、祭神は木花咲夜比賣神にして、境内に神明神社、金刀比羅神社、稲荷神社、大國神社、天神神社、南宮神社、貴船神社の七社ありしが、。昭和三年本殿幣殿拝殿の改築と共に合祀し、古老の言に依れば明治初年頃迄旧六月一日例祭にして、当日は相当の人の出ありて賑わいたるものなり・・・・・・・・・・ |
509-0207 岐阜県可児市今渡1479番地の1 |
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可児支部 588 |
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富士ケ根神社
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平安時代の末期(永暦1年1160)源義朝を尾張に於て殺害せし長田庄司忠致は、一時富士の裾野に逃れ居るところ、義朝の子頼朝が富士の巻狩をなし之を捕へんとすることを知り、身をもって信州諏訪に落ちたるところ、再び頼朝の追手がかかり、一族を連れて美濃苗木の地に逃れ、大久郷に居を定め、此の山を富士ケ根と名付く・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字富士ケ根1956番地の3 |
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中津川市支部 2226 |
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桜子神社
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創祀不詳。富士浅間を勧請したる霊神なり。東に八王子、西に八幡の大社ありと村鏡に記せり。境内に古井戸あり、往時伊勢屋といふ。社務所様の宿舎ありて伊勢の神主大世森太夫、年々此の地に来り、此の宿舎に泊まりて大麻を頒布せりといふ。その時に使用せし井戸なり。今なお清水を湛へり。・・・・・・・・・・ |
501-1177 岐阜県岐阜市中西郷132番地 |
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岐阜市支部 1096 |
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子護神社
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当地古来の伝説によれば、往時隣郷付知村より杣人入り来り此の地を拓き居住せり。或時夢に女神と拝し、即神慮を奉じて駿州富士浅間神社に詣て帰りて此処に斎き奉りて子安大明神と称へ奉る。その後荒廃に帰したるも正徳五年苗木藩令を以て新地開墾を奨励せらるるや、越原村庄屋越原雄右衛門同村に藩旨を伝ふ。茲に於いて仲右・・・・・・・・・・ |
509-1301 岐阜県加茂郡東白川村越原2249番地 |
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加茂郡支部 523 |
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富士神社
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詳細
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創祀未詳なれども、元禄検地帳藤権現宮此境内五反歩とあり。昭和十六年十二月九日同村大字金桶字ヒヨウ無格社日枝神社(祭神大山咋神)を合併。例祭日九月十三日。・・・・・・・・・・ |
509-4123 岐阜県高山市国府町金桶1282番地 |
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吉城郡支部 1306 |
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富士神社
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創立年代は不祥。古来より湯屋組の村社として崇敬されている。戸田采女正による元禄検地に境内除地、「1町3反3畝10歩 富士権現宮地、2反2畝歩熊野権現宮地」を賜り、文政4年本殿再建の棟札に、富士大権現・白山大権現とある。嘉永4年の『神名記』に富士権現宮・相殿白山宮とあるので、古来白山大神を相殿として奉・・・・・・・・・・ |
509-3113 岐阜県下呂市小坂町湯屋479番地の1 |
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益田支部 343 |
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富士神社
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詳細
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天正二年。永徳年間の創建にして美濃國武儀郡関村住鍛冶太郎右衛門元重の裔奈良太郎兼常刀剣を冶んと欲し、駿河國富士山に詣でて神に祈り、土砂を持ち来たりし由縁を以て永徳年中富士山の神を勧請し、この地に齋鎮せし由。其の後天正二年に至り、関村鍛冶兼白と云ふ者この地に移住し、当社諸般の神事を取り扱ふ由。其の後本・・・・・・・・・・ |
501-3217 岐阜県関市下有知字富士屋敷3911番地 |
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関市支部 863 |
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天諏訪神社
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詳細
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創祀未詳。明治四十一年九月二十八日、門原天神社と合祀。大正四年一月十八日社名変更天神社と諏訪神社を合し天諏訪神社に改称す。・・・・・・・・・・ |
501-3521 岐阜県関市下之保字諏訪前2617番地 |
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武儀支部 2649 |
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富士神社
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詳細
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明治神社明細帳曰く、創立及社格年月日不詳。古来当組の村社に之有り候。明治四十二年三月一日字椹谷山無格社山神神社、字中崎無格社山神神社を合併す。昭和二十四年三月十五日本殿移転の為解体の際右側蟇股に「文政十一年四月上旬」の墨書発見。・・・・・・・・・・ |
509-3111 岐阜県下呂市小坂町落合1147番地 |
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益田支部 341 |
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