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八幡神社
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詳細
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| 創立年月日不詳なれど、言傳には三百年以上経ている社なり。境内に大楠檜などあり、古社たることを思はさる。明治初年村社に列し、同境内に五穀社を祀り特に五穀祭を例年行ふ。・・・・・・・・・・ |
| 503-0534 岐阜県海津市南濃町境字東緑1312番地の1 |
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海津市支部 685 |

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八幡神社
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詳細
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| 創立年月は詳かならざるも、往古神仏混淆の時代は八幡大菩薩と唱へたるも、明治元年五月官制改正の神仏分離に依り八幡神社と改称し、明治年間中に神明社を合併し、奉齋したるものなり。・・・・・・・・・・ |
| 503-0643 岐阜県海津市海津町札野261番地 |
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海津市支部 735 |

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八幡神社
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| 往古は千代河戸西北約五十間。今宮跡田と称する字千代河戸1324番地付近に鎮座。応永年間字中屋敷1424番古宮跡と称する処に移徒慶長初年現地に再び移徒。慶長初年西尾豊後守光教当城主となるや、当庄の惣社たる揖斐城鎮護神の荒廃せしを嘆き往古の大社を追懐し、新地を相し境内及神殿を寄せ、境内に七宅を建て社家花・・・・・・・・・・ |
| 501-0603 岐阜県揖斐郡揖斐川町上南方1399番地 |
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揖斐郡支部 2951 |

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八幡神社
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| 創建年月日不詳。建久の頃相模國足柄郡羽田野下総守在城の時、城内に守護の八幡神社之有り。然る処その頃戦いの際右下総守御生害あり。家臣等多く切腹するに美濃國郡上郡字小那比村の産五郎平と申す者羽田野家に僕たり。其の主下総守弟それに扈従して遁れ来りし時に彼の城内に祀れる八幡大神をもこの地へおとも仕り当村字神・・・・・・・・・・ |
| 501-4455 岐阜県郡上市八幡町小那比字弾部3311番地 |
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郡上市支部 1474 |

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八幡神社
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| 創建年月不詳。里傳に曰く、高須旧藩主尊敬の念厚く、乗馬御通過の際必ず下馬遊され、其の神徳特に広大なる為遠く桑名地方より参詣者多数あり。又往古洪水の折御神体一時紛失中の処安江堰に留まりあると夢の御告げに依り村人一同総出して之を奉遷せりと云ふ。其の御神徳を慕ひ為に崇敬者益々多く、浄財を寄進する者増加し現・・・・・・・・・・ |
| 503-0652 岐阜県海津市海津町馬目207番地 |
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海津市支部 747 |

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八幡神社
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詳細
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| 永禄九年八月創立。明治九年神實、神鏡を納む。大正十二年岐阜県指令を以て同大字山五無格社猿田彦神社を合併許可を受け同年七月二十四日合併す。・・・・・・・・・・ |
| 501-0311 岐阜県瑞穂市重里字内田615番地 |
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本巣郡支部 2719 |

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八幡神社
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| 創建年月不詳。明治六年一月第五大区第十三十四小区の郷社と定められたり。明治四十年十月字村西無格社熊野神社同年五月字堤敷無格社神明神社を合併す。享和三年御領内明細記上開発の條に左の記録あり。一、八幡宮 社三尺九寸五分三尺二寸 拝殿二間三間 境内二反二畝二十八歩御除地。・・・・・・・・・・ |
| 503-0002 岐阜県大垣市開発町956番地の1 |
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大垣市支部 1930 |

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八幡神社
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詳細
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| 当八幡神社の創建由緒は書類散逸して詳ならずと雖も、その創建は遠く天平の昔なりと伝ふ。・・・・・・・・・・ |
| 501-0707 岐阜県揖斐郡揖斐川町日坂2043番地 |
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揖斐郡支部 3007 |

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八幡神社
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詳細
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| 揖斐川町大字小野臨済宗東光寺鎮守の神社なりしが、村人の崇敬篤く為に村人と相謀り本社八幡神社、境内社素盞嗚神社を大字小野字北屋敷139番地の1に遷座氏神として奉齋。祭祀を一月十五日六月十四日八月十五日の三回村人氏子に強合三個を配る。現在その風習を続けている。・・・・・・・・・・ |
| 501-0612 岐阜県揖斐郡揖斐川町小野139番地の1 |
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揖斐郡支部 2959 |

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八幡神社
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詳細
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| 創建年月日不詳。慶長九年五月再建と有り。元不破郡岩手城主竹中半兵衛崇敬の神にして、毎年例祭には岩手城主より代参せられ、金穀の供進も之有りしも、書類一切焼失の為唯古老の伝説に存するのみ。公卿字十之坪鎮座祭神応神天皇勧請年月日不詳。古伝に大御業城主竹中遠江守の鎮守と称す。・・・・・・・・・・ |
| 501-0555 岐阜県揖斐郡大野町公郷2103番地 |
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揖斐郡支部 2933 |

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