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八幡神社
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詳細
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| 創祀未詳由緒未詳。昭和二十七年一月十六日厚見村領下字薬師1454神明神社。同梶木2332梶木神社を合併す。・・・・・・・・・・ |
| 500-8241 岐阜県岐阜市領下字往還南54番地 |
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岐阜市支部 958 |

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天満神社
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詳細
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| 養老元年中越の泰澄大師加賀國開創の後郡上郡に四十九社を創建す。当社は其の一社にして鈴原八幡と称へしが何れの頃よりか同殿に菅神を祀り社号を天満と改称せしと云ふ。・・・・・・・・・・ |
| 501-4236 岐阜県郡上市八幡町相生1839番地 |
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郡上市支部 1431 |

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八幡神社
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詳細
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| 創祀不詳。古老の口碑に往古宇佐神宮の御分霊を奉祀して、国主大明神と称し、遠近の人々大いに崇敬せり。然るに天文年中より日を逐うて衰微し、延宝の始めには殆ど廃絶に及びしかば、村民の願望によりて延宝八年再営して八幡神社と改称せり。合祀津島神社(建速素盞鳴尊、豊受姫命、久々能智命)創建年月不詳。往古疫病流行・・・・・・・・・・ |
| 503-1621 岐阜県大垣市上石津町下多良687番地 |
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養老上石津支部 3234 |

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白山神社
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| 創立年代は不詳である。承久年間「今宮さま」と称した。正平年 椋椅(くらはし)某、この地に来り住んだが、厚く神を崇敬して荒廃した本殿を整備し、後に加賀白山別当、僧徒が「勧化回壇」と称して、社殿の営繕に際し、祭神を改めて白山権現とした。江馬小四郎平時経以来、同家累世の崇敬また厚く、文明年間に特に同家右兵・・・・・・・・・・ |
| 506-1315 岐阜県高山市上宝町荒原352番地 |
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吉城郡支部 1283 |

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八幡神社
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詳細
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| 創祀未詳なれども、上代国賊宿禰討伐の節武振熊命此の地に屯して祈願せし跡地なりと伝ふ。境内に祈願座(ノリクラ石)と称する平盤の巨石を存す。仁徳天皇六十五年国賊両面宿儺なるもの皇命に従はず國中横行掠奪を事とせしかば、老功臣難波根子武振熊命をして誅討せしめらる。宿儺は三野國より斐陀に逃がれ密かに当地日面出・・・・・・・・・・ |
| 506-2134 岐阜県高山市丹生川町桐山字野方302番地 |
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大野支部 2155 |

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八幡神社
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詳細
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| 寛平五年三月創祀。本村は石太郷の一部にして社傳には寛平五年創建とあり。美濃國神明帳内の従五位下石部明神は当社に該当すとの説あり。古来上磯有里本庄鹿野定松五之里南方麻生九ヶ村の総社なり。毎年旧正月十四、十五両日の神田祭には掛役員裃着用帯刀にて神前に罷出祭祀を執行せるものにて前日即ち十四日には探湯の神事・・・・・・・・・・ |
| 501-0531 岐阜県揖斐郡大野町上磯292番地 |
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揖斐郡支部 2912 |

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八幡神社
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詳細
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| 天和二年七月二十九日創建。元禄十一年九月六日再造営す。此の時隣接舟見村も亦此の神社を崇敬し、二ヶ村氏神となす。・・・・・・・・・・ |
| 503-1265 岐阜県養老郡養老町若宮17番地 |
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養老上石津支部 3130 |

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八幡神社
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詳細
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| 創立年紀不詳なれども、広大なる境内を有し、明治七年地租改正の古文献によれぱ、左記の如し。山後村字山裏811番村社旧境内大別八反十四歩但し官有地第一種・・・・・・・・・・ |
| 504-0042 岐阜県各務原市那加山後町3丁目188番地 |
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各務原市支部 763 |

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八幡神社
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詳細
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| 創立年月不詳。貞治年中鎮座の由、古老の口碑に存せり。寛永度領主小笠原土佐守社地寄付せられたり。境内社金刀比羅神社、嘉永元年九月勧請。爾来末社となれり。神明神社勧請年月不詳。古来末社。・・・・・・・・・・ |
| 503-1316 岐阜県養老郡養老町押越468番地 |
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養老上石津支部 3170 |

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八幡神社
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詳細
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| 創祀未詳。大正十四年十二月三十日同字火打平無格社熊野神社、同加羅神社(祭神不詳)同大字坂下神明神社を合併す。・・・・・・・・・・ |
| 501-3781 岐阜県美濃市片知字道北452番地 |
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美濃市支部 2483 |

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