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今尾神社
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詳細
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慶長19年申9月16日伊勢外宮より五穀の祖神として豊受姫大神を勧請し創建され、また往古より伊勢外宮領とされ3石の年中御饌供料を奉献し、御師松尾太夫、丹蔵太夫には約二百石余の給分が定められていた。明治維新後毎年正月外宮に神楽料が奉納される。鯰池には、古来当地方の産土神として天神神社が祀られていた。その・・・・・・・・・・ |
503-0321 岐阜県海津市平田町今尾3055番地の8 |
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海津市支部 643 |
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御鍬神社
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詳細
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境内地より古器古瓦出土につき、県より史蹟指定さる。
特殊神事 山の講神事 毎年年の始めに 男松(黒松)で男根を作り行列を成して山の神にお供えをする。
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503-2227 岐阜県大垣市青野町439番地の1 |
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大垣市支部 2099 |
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六社神社
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詳細
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創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
503-2503 岐阜県揖斐郡揖斐川町春日川合1682番地の1 |
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揖斐郡支部 3100 |
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神明神社
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詳細
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人皇百七代後水尾天皇寛永二年四月四日付村内本願として濃州白川郷神土村親田に一宇を建立天照皇大神を祭る。降りて寛保二年苗木藩主の許可を受け、豊受大神を合祀す。本願主村庄屋安江八十助正盈東組頭榊間惣七森重、親田組大坪新七郎長定、同時に御鍬御挙一基を建造し、毎年一回村内を巡回して農桑を振作するを以て例とす・・・・・・・・・・ |
509-1302 岐阜県加茂郡東白川村神土2227番地の1 |
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加茂郡支部 525 |
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津島神社
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詳細
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里伝に依れば、明和年中疫病大いに流行した故に諸病鎮遏のため尾張津島神社の御分霊を奉迎して創建したといふ。神社の神域にはいにしえは境外にあっが、安政末時代より現地に奉遷したものであるそうである。此の神社地旧地は唯願寺領で(朱印地)あったのである。毎年例祭には必ず神饌に供したる御酒一樽を同寺に贈ることに・・・・・・・・・・ |
503-1632 岐阜県大垣市上石津町下山367番地の1 |
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養老上石津支部 3248 |
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神明神社
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詳細
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里伝に曰く、往昔細野神明堂に奉祀せし御分霊であったが、何時頃よりか、村民の望に依り住鹿地内辻ヶ下移転奉祀した。而して今(昭和六年)より三四十年前当境内に奉祀したのである。・・・・・・・・・・ |
503-1634 岐阜県大垣市上石津町細野87番地の2 |
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養老上石津支部 3253 |
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神明神社
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詳細
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
503-0845 岐阜県大垣市牧新田町字内田112番地 |
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大垣市支部 1990 |
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御鍬神社
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詳細
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慶応三年世上に神仏天下り候処同年十月二日七つ時豊受姫大神御鍬大門に天下り給へるに因り氏子中相談の上、五穀豊穣を祈願し、当所に奉勧請候也。里正若山七?カ兵衛、々見習役若山喜作?カ、組頭桂次郎、外百姓仁三郎
この神社は、榎戸町字土井之内259番地に鎮座し、祭神は豊受姫大神であり、慶応3年(1867・・・・・・・・・・ |
503-2222 岐阜県大垣市榎戸町1丁目12番地 |
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大垣市支部 2096 |
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神明神社
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詳細
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当村日比久助なる者、享保九年八月一祠をこの地に創建した。その子細は、現境内の東方に霊泉があり、(今存す)人之を汲んで忽然殃害あるを以て、その泉上の山中に火神を奉祀した。爾来その禍は絶えるに至ったと傳へている。境内津島神社は慶応三年疫病大いに流行したので、尾張國津島神社の御分霊を奉迎して以来信仰篤く、・・・・・・・・・・ |
503-1624 岐阜県大垣市上石津町三ッ里864番地の1 |
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養老上石津支部 3241 |
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神明神社
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詳細
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享保十八年八月村中の寄進により創建。従前当村西組元岩須村崇敬の神社があった。村人は爾来よく氏神としての神徳によって奉斎し、宝暦八年、天明五年の再営、寛政十二年、天保四年の修復など、崇敬の誠をいたした。境内に津島神社あり。寛政七年六月大いに疫病流行したので、該病鎮圧のため尾張津島神社の御分霊を奉迎して・・・・・・・・・・ |
503-1624 岐阜県大垣市上石津町三ッ里1431番地の1 |
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養老上石津支部 3240 |
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