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飛騨総社
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朱雀天皇承平年間創祀。明治四年九月十二日縣社に列し、維持五年四月五日郷社に明治十三年七月十日縣社に復す。朱雀天皇の御代承平年間飛騨國国司国内の官社を当地(国府の古跡当域内に存す)に勧請し、總祭して世々祭祀を努め来りたり。按ずるに当神社は飛騨の国司が所載の班幣を執り行へる齋場(總社考に神祇式に云ふ祭日・・・・・・・・・・ |
506-0006 岐阜県高山市神田町2丁目114番地 |
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高山市支部 1677 |
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十二社神社
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寛文年代の創祀。寛文年代肥後熊本より御神体を迎え、宝永七年八月之を再建す。・・・・・・・・・・ |
509-7205 岐阜県恵那市長島町中野字大隈前108番地の2 |
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恵那市支部 1577 |
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加茂神社
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加茂神社は往古より小瀬ヶ洞地区の氏神として鎮座になっていた。然るに昭和二十四年電力開発に依る秋神ダムの湖底に水没した。現存する氏子民は復興を哀願し、崇敬者に広く訴えた。理解ある人々の協力を得、ここに悲願が叶えられるに至り小林利一は山林約二丁歩余を寄進した。新しい境内地に社殿が造営され、神社本庁に所属・・・・・・・・・・ |
509-3317 岐阜県高山市朝日町小瀬ヶ洞字向野尻732番地の40 |
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大野支部 2194 |
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白山神社
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創祀不詳なれども、古老の口碑に、同組字白土白山神社同体の神なり。神の論に従ひて当社を勧請す。大凡百年前流病に罹り患ふ者人民半数に余る。之に因りて当社に祈るに速やかに平癒す。その時礼参りの日を以て今に九月二十三日参拝すると云ふ。明治四十年六月中字古滝村社白山神社白土村社白山神社を合併す。・・・・・・・・・・ |
506-1307 岐阜県高山市上宝町双六788番地 |
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吉城郡支部 1273 |
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荒城神社
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創祀は平安朝以前。三代実録第十四に「清和天皇貞観九年十月五日。授飛騨國従五位下水無云々荒城神社云々従五位上とあり、又延喜式神名帳に飛騨國八社荒城神社とあるを見、又古事記伝十三巻に美濃の國喪山の未詳なるについて飛騨國荒城神社もあり、心附くべし。とあり、尚諸国の例に見る国名郡名連続するを考ふれば、出雲國・・・・・・・・・・ |
509-4103 岐阜県高山市国府町宮地1464番地の1 |
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吉城郡支部 1289 |
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六攸神社
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創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
501-6224 岐阜県羽島市正木町大浦248番地 |
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羽島支部 224 |
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神明神社
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創立年代は不詳である。
社伝によると、往古この地に時々光り輝き、あたかも神明のごとく見える物があったので、村民は畏怖尊敬して神籬を立てて斎祀したのがその起源であると言われている。鎌倉時代に武士 五十嵐小豊次尊敬する事厚く、武器等を奉納した。また中古には当郷領主江馬家も神明神社を尊敬する事厚く、社領・・・・・・・・・・ |
506-1302 岐阜県高山市上宝町長倉585番地 |
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吉城郡支部 1269 |
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八幡神社
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勧請年不詳。灯籠に嘉永七年六月氏子寄進とあり。・・・・・・・・・・ |
505-0022 岐阜県美濃加茂市川合町三丁目7番10号 |
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美濃加茂市支部 2434 |
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貴船神社
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本社の創立年代は不祥であるが、応保年間源義平が平治の乱に破れて飛騨国に潜入したとき、馬瀬川西岸に築城した。この時馬瀬川が急流で、渡河困難であったので、貴船大神を勧請奉祀して無事に川を渡る事ができた。爾来当社をワタスの森と称したが、明治初年地券改正により字名を「見広」と改めた。当社は祈雨、祈晴に霊顕が・・・・・・・・・・ |
509-2604 岐阜県下呂市馬瀬中切905番地 |
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益田支部 327 |
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貴船神社
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永禄二年九月八日創祀。大神御本神は山城國鞍馬に御鎮座伊邪那岐命の御子弥都波能賣命と申す女神と祭神と仰ぎ、水武豊穣を司り給ふ神徳惟畏し美濃坂丸へ勧請は永禄二年豊島市民右衛門源経國美濃一円に亘る大旱魃に住民困窮の極に達し、黙視し不能早馬二頭を仕立て一頭を先行、一頭に自ら乗り、中仙道美濃路を上洛。鞍馬貴船・・・・・・・・・・ |
501-6229 岐阜県羽島市正木町坂丸396番地 |
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羽島支部 230 |
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