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美峰稲荷神社
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詳細
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貞享三年三月岐阜町大災害ありし後市中鎮護の為奉祀する処にして爾後名古屋藩出張岐阜役所より旧修験安乗院をして奉祀せしめしに維新の際神佛区別判然すべきを所轄定まらず、祭祀廃絶して社頭頽廃に及ぶを以て明治八年二月許可を得て再興す。末社秋葉神社。明和年中旧名古屋藩出張、岐阜局長大道寺孫作其の岐阜局所在地鎮護・・・・・・・・・・ |
500-8042 岐阜県岐阜市末広町114番地 |
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岐阜市支部 926 |
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稲荷神社
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詳細
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創祀未詳なれども、天正十八年四月再興。大檀那松浦勘左衛門尉と記せり。旧来久々利七郷の内原見我田酒井三村の産土神たりし旨、享保八年、明和五年の棟札に記せり。方今は原見組のみの産土神社なり。濃州志略にも此祠を載せたり。社地境内は元禄七年久々利村山内帳に原見村稲荷杉雑木林長二町横一町と記せり。方今は境内左・・・・・・・・・・ |
509-0224 岐阜県可児市久々利640番地 |
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可児支部 608 |
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稲荷神社
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創祀未詳。当所開墾の始め勧請したるか。当時稲荷神社と八幡神社の二社あり。同区大前田、宮前の田の旱害を蒙ること度々にして区民の難儀甚だし。明治二年現在の野上用水の残水を以て大前田、宮前の灌漑する為に水路を構築したるも、その費用の支出に困り、当時の代官所上有知陣屋に願い出、十年払いにて拝借したるも、明治・・・・・・・・・・ |
501-3501 岐阜県関市富之保字一柳城山4194番地 |
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武儀支部 2637 |
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神明神社
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創立年月不詳。正保四年春当宗兵衛及喜三郎の再建せし棟札あり。降りて享保自由八年十一月当組惣右ェ門なるもの建替せり。爾来宝暦三年五月享和元年九月文政五年三月天保七年六月氏子中の棟札あり。明治四十二年三月一日字坂マキ無格社稲荷神社字ミコサカ無格社秋葉神社を合併す。・・・・・・・・・・ |
509-3105 岐阜県下呂市小坂町坂下坂下431番地 |
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益田支部 338 |
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喜久一丸稲荷神社
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明治五年垂井町字笹原区崇敬者百四十八人の守護神として創建し、約八十年間年々祭典を厳修し来れるが、熱誠ふる崇敬者等の願出に依り、宗教法人法に依り公認神社として一層崇敬の誠を捧る事となれり。・・・・・・・・・・ |
503-2100 岐阜県不破郡垂井町字笹原1891番地の2 |
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不破郡支部 2540 |
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富士神社
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創立年代は不祥。古来より湯屋組の村社として崇敬されている。戸田采女正による元禄検地に境内除地、「1町3反3畝10歩 富士権現宮地、2反2畝歩熊野権現宮地」を賜り、文政4年本殿再建の棟札に、富士大権現・白山大権現とある。嘉永4年の『神名記』に富士権現宮・相殿白山宮とあるので、古来白山大神を相殿として奉・・・・・・・・・・ |
509-3113 岐阜県下呂市小坂町湯屋479番地の1 |
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益田支部 343 |
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栄稲荷神社
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明治三十六年栄町が開設されてその翌年新しく社屋を造営し、伏見稲荷を勧請して奉祀したが、当町栄町の氏子は僅かに十数戸に過ぎず、神社経費の一戸当たりの負担額、○○来五○程であったと云ふ。・・・・・・・・・・ |
503-2213 岐阜県大垣市赤坂町字六丁3025番地の2 |
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大垣市支部 2085 |
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豊受神社
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創立時代は不詳であるが、古来住民が作物の神として、稲荷大明神を現在地に祀り、崇敬し続けたのに始まる。後源氏の武士、沖野某が来り住んだが、吉野の土質は肥沃で将来有望の地だとして従来の稲荷大明神に豊作を寿ぐ神として、豊受大神を併せ祀り、これを主祭神として、農耕のかたわら代々神主として奉仕した。戸田采女正・・・・・・・・・・ |
506-1316 岐阜県高山市上宝町吉野166番地 |
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吉城郡支部 1284 |
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明徳稲荷神社
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詳細
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謹んで明徳稲荷神社の御由緒を按ずるに、慶長年間寺河戸字龍門に住める郷士土井戸右衛門なる者京都伏見の正一位稲荷大明神の御分霊を勧請して、自家の下屋敷に奉祀せしに始まりしが、此の地土岐川に沿ひて、水害頻々なる為、明治四年三月寺河戸字森本に御鎮座の産土大神日吉神社の境内末社として御遷座奉祀し来りしが、大正・・・・・・・・・・ |
509-6121 岐阜県瑞浪市寺河戸町1029番地の17 |
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瑞浪市支部 1857 |
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稲荷神社
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創立年月不詳なるも棟札によれば、元禄九年以前に創立されたること明らかなり。昭和二十七年一月十六日水無神社を境内神社として合併せり。・・・・・・・・・・ |
501-3205 岐阜県関市志津野2387番地の1 |
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関市支部 855 |
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