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黒谷白山神社
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創立不詳。三尾河、一色、白山と共に往古分祀鎮祭せりと里伝に云へり。其の後正徳二年八月再建。以来屡々にして明治維新村社に列し社殿を造営し、古来よりの産土神と崇敬せり。・・・・・・・・・・ |
501-5404 岐阜県高山市荘川町黒谷字神田89番地 |
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大野支部 2103 |
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神明神社
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明暦三年九月創祀。本村は平野庄の一部にして元安八郡に属し比叡山延暦寺領なり。然るに享禄三年より天正四年に至る揖斐川流域変遷の際本村河川敷となりし為土地の大半を失ひ住民離散の厄に遭ひ人家は東端に立ち退き大野郡に編入。又其の際松の木を移植せるも是亦堤防敷となり更に植樹せしが現在の松の木にして里人神木と称・・・・・・・・・・ |
501-0533 岐阜県揖斐郡大野町本庄字村之内204番地 |
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揖斐郡支部 2915 |
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神明神社
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創建年月日不詳なるも口碑に依れば、今を去る五百年前の創建にかかり境内には古木鬱蒼として茂り、氏子の崇敬深く、盛夏の頃は氏子相集ひ涼しの場所として賑はひて地名も休み名と称せり。この地の郷民は殊に伊勢神宮を尊崇し、古より伊勢代参講を設け年々伊勢参拝を怠らず今日に至る。明治八年三月村社に列す。・・・・・・・・・・ |
501-0561 岐阜県揖斐郡大野町牛洞2743番地 |
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揖斐郡支部 2937 |
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神明神社
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天和三年七月久瀬川(揖斐川)大洪水の際本村旧高百九十二石八斗二升二合の内三十石余の耕地及び戸数十余戸と共に本神社境内も全部流失し、一面川原と化し、その後再度の出水に耕地の流失続出し、村民一般極めて悲嘆の状態に陥りたるを以て藩主石河佐渡守は自ら其の悲惨なる状態を臨検し、直ちに伊勢皇太神宮を奉戴し川欠浜・・・・・・・・・・ |
501-0632 岐阜県揖斐郡揖斐川町上東野347番地 |
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揖斐郡支部 2986 |
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神明神社
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古昔鶴姫后と云あり。御手に神鏡を持て敬拝せらるること毎旦なり。故に伊勢内宮の霊璽を請ひて此の地に崇祀し奉ると云ふ。現今境内前に鶴屋敷と旧跡あり。光厳天皇小島へ御通輦のとき村名を聞き給ふ勅答に藤代村と奏上す。于時当社の藤の花開きたるを天覧し給ひて花の藤代かと詔ありしとの説あり。斯く当社は有名の社にして・・・・・・・・・・ |
503-2429 岐阜県揖斐郡池田町藤代583番地 |
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揖斐郡支部 3080 |
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神明神社
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
503-0935 岐阜県大垣市島里672番地 |
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大垣市支部 2026 |
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神明神社
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
503-0306 岐阜県海津市平田町蛇池116番地 |
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海津市支部 633 |
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神明神社
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創祀未詳と雖も、寛文二年建立、寛永三年二月再建の棟札あり。正徳四年再建。里伝に曰く往昔火災焼失せり。その他由緒詳ならず。・・・・・・・・・・ |
505-0107 岐阜県可児郡御嵩町上之郷7240番地 |
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可児支部 542 |
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神明神社
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元禄十年濃州葉栗郡竹ヶ鼻藤原朝臣吉田藤右ェ門家次に命じ、本殿を謹造せしめ、天照皇大神を奉迎安置し、同年八月十九日当村字村南の浄地に之を鎮座。五穀豊穣村内安全を祈願したるに始まり、産土神として氏子崇敬今日に至る。この間延享四年正月、安永四年八月、嘉永元年九月、大正十年一月、本殿改築遷宮の式を行ふ。・・・・・・・・・・ |
501-6204 岐阜県羽島市足近町小荒井字嫁振1389番地 |
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羽島支部 210 |
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神明神社
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創祀未詳。里人口碑に曰く、往古此の地産奥國三春の里より名高武士主従四名落ち来て、此の地を開き弓箭を製するを職とす。居館の東方に神明宮を勧請し奉り、崇敬すと云う。後漸々人口増殖して一部落を成す。依りて村内一同の産土神の神社と尊敬し奉る。
文化財 狐釣り 岐阜県指定無形民俗文化財・・・・・・・・・・ |
506-1141 岐阜県飛騨市神岡町野首902番地 |
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吉城郡支部 1235 |
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