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山桜神社
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創祀未詳なれども、領主金森頼直江戸詰めにてありし時、天明の大火に当たり駿馬山桜号に跨りて百間堀を越え、江戸城に駆けつけ功績あり。その際兜の内に祀りし日吉大神のお守りを此の地に奉斎せりとなり。又駿馬山桜号慰霊のため、その遺骨を合祀せりと伝ふ。・・・・・・・・・・ |
506-0011 岐阜県高山市本町2丁目65番地 |
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高山市支部 1678 |
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日吉神社
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創立年代不詳なれども那加町屈指の広大なる境内を有し老杉古松等鬱蒼として繁茂なし、境内瓢箪池には例祭の頃多数の蝦蟇が出て来り祭礼も「かはず祭」と呼称され、当日氏子崇敬者より「とりのこ」と称する特殊の供物が山ほど積み供へられ、参拝者に配られる折はその賑々しさ耳をおほふばかりなりき。境内には燈籠の古きもの・・・・・・・・・・ |
504-0958 岐阜県各務原市那加新加納町2225番地 |
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各務原市支部 813 |
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日枝神社
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遠く永治元年(1141)、時の飛騨守時輔朝臣が、ある日片野山中で狩りに出て、奇瑞のことがあったので、その城をかまえていた石光山(今の高山市片野地内)に近江の日吉大神を勧請して、城の鎮護としたのがはじまりである。その後、四代目景家の時、養和元年(1181)正月、源義仲の部将手塚光盛に攻められ、利あらず・・・・・・・・・・ |
506-0822 岐阜県高山市城山156番地 |
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高山市支部 1719 |
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辻ヶ森三神社
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506-0054 岐阜県高山市岡本町2丁目128番地 |
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高山市支部 3316 |
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三福神社
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崇徳天皇永治元年飛騨守平時輔当区三仏寺城に在り。一日遊猟して老猿を追ひ、日枝神の霊験を感じて城下山腹に大神を勧請奉祀し、山王宮又三ノ宮と称せり。時輔より四世飛騨判官景家に至り、安徳天皇養和元年二月木曽義仲の部将手塚光盛来討し当城拒守する能はず、終に兵火の為当社も余火に罹りたるも、幸ひにご神体は事無か・・・・・・・・・・ |
506-0807 岐阜県高山市三福寺町18番地 |
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高山市支部 1700 |
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日吉神社
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弘仁年中安八郡惣社神主安八太夫存命不走なるに伝教大師の高徳を慕ひ、祈願を乞ければ、大師此の地に来り祈念ありければ、大夫喜悦の余り平野庄に於いて勧学院を建立。大師の○開山を五千石御朱印を給ふ。日吉山王を奉請神殿造九町九間日吉大門とせり。則下宮是なり。建久元年に源頼朝公上洛の砌日吉山王の前を下馬為敬の所・・・・・・・・・・ |
503-2312 岐阜県安八郡神戸町下宮村中1842番地の1 |
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安八郡支部 99 |
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日吉神社
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詳かならざるも往古より氏子の敬神の念厚し。・・・・・・・・・・ |
503-0015 岐阜県大垣市林町3丁目10番地 |
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大垣市支部 1943 |
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大八柱神社
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創祀未詳なり。里伝に曰く、当社は天正十年十月吉城郡高原郷諏訪城主江馬輝盛敗亡の時夫人某氏常に信仰する住吉明神の御霊代の神鏡を奉じて傅人横山盛方に導かれ辛くして当地に遁れ来り農家に潜伏し、後一祠を営みたりと云ふ。又云ふ。当神社は江馬一族累代の尊崇する神社にして寿永二年備前守平忠盛男修理大夫経盛の末子と・・・・・・・・・・ |
506-2131 岐阜県高山市丹生川町大萱字宮垣内740番地 |
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大野支部 2152 |
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八王子神社
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創建年月不詳なるも伝説には延暦以前の創建と称せり 又村の古記録には氏神の次第は八王子神社奉祀せしは何時頃なるか詳ならさるも祭神は京都祇園の神社と同神にして崇高なる神八柱を祭り祭祀等は総氏子の篤く執行する所なりとあり 明治四年村社に列せらる後字内各所鎮座を勅令に基き旧社地字於猿塚九拾六番地の参 無各・・・・・・・・・・ |
501-1311 岐阜県揖斐郡揖斐川町谷汲徳積286番地 |
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揖斐郡支部 3027 |
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松尾白山神社
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社伝によれば奈良町末期以前創祀。当社の創祀は遠く自然崇拝時代にありとす。即ち当地の高山(からやま)は往昔より神の御山と尊ばれ古へは「神山」へは足を入れず、麓の祀御山に於いて祭祀を行ひたり。宝亀五年飛騨守秦忌寸伊波多気勾の匠に命じ、初めて社殿を建立し、神鏡を奉り、攘炎豊穣を祈りたり。天長十年現在地にあ・・・・・・・・・・ |
509-4201 岐阜県飛騨市古川町数河字宮廻2621番地 |
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吉城郡支部 1311 |
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