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秋葉神社
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詳細
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文政八年勧請。遠江國秋葉山秋葉神社を祀る。明治十三年三月十五日信徒等の請願によって社号公称を許可せらる。・・・・・・・・・・ |
503-1314 岐阜県養老郡養老町高田26番地の4 |
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養老上石津支部 3160 |

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八幡神社
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詳細
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創立年月不詳。所蔵の棟札「奉造立八幡宮社所繁昌明暦四年二月八日」境内神明神社由緒創立年月不詳。当社元字用水に無格社たりしが、昭和三年十一月移転合併す。「奉造替神明社一宇神威倍増如意所貞享二年正月吉辰」・・・・・・・・・・ |
503-1335 岐阜県養老郡養老町宇田121番地 |
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養老上石津支部 3189 |

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大神神社
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詳細
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天文三年差出帳へ村中之支配宮五社隼人大明神拝殿御座候境内三十畝十歩前々より御除地神明内宮境内一畝歩前々より御除地神明外宮境内十五歩前々より御除地白山権現境内十三歩前々より御除地若宮八幡宮前々より御除地。文化九年十二月明細帳(神社六ヶ所、神明宮両社八幡宮白山大権現早人大明神弁才天右六社境内内一反七畝十・・・・・・・・・・ |
503-1385 岐阜県養老郡養老町上之郷西ノ切130番地 |
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養老上石津支部 3215 |

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神明神社
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詳細
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昭和三十四年神明町発足に伴ひ守護神たる神社創立の要望起こり、全町民奉賛のもとに昭和三十六年八月神明神社奉祀委員会を結成し、祭神として字神明古来の産土神たる神明神社、並びに大字押越の総氏神たる八幡大神を奉齋することに決し、同年九月宮地地鎮祭、同年十一月一日鎮座祭、同年十一月三日御鎮座奉祝祭を挙行した。・・・・・・・・・・ |
503-1316 岐阜県養老郡養老町押越30番地の18 |
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養老上石津支部 3171 |

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諏訪神社
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詳細
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養老郡多芸村多芸、多岐神社御旅所なり。弘治永禄の頃までは毎年二季祭礼の節神輿渡御ありしといへり。今も該社例祭の日、多岐より奉幣あり。一説に当社は多岐神社の御旅所なれば阿須波神なるを、音の似たるより諏訪と誤れるものならんといへり。・・・・・・・・・・ |
503-1332 岐阜県養老郡養老町中60番地の1 |
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養老上石津支部 3186 |

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稲荷神社
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詳細
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勧請年月不詳。享和三年御領内明細記島田村の條に「稲荷大明神境内御除地」とあり。境内社金刀比羅神社は文化四年信仰の輩禅宗即心寺境内に勧請せしを、安政六年十月此の地に移す。・・・・・・・・・・ |
503-1314 岐阜県養老郡養老町高田257番地の3 |
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養老上石津支部 3166 |

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天神神社
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安部氏転住の際守り本尊として祀る創建年月不詳。・・・・・・・・・・ |
503-1276 岐阜県養老郡養老町釜段1120番地 |
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養老上石津支部 3145 |

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八幡神社
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詳細
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創祀不詳なれども、源義朝平治の乱に破れて、尾張國野間の内海に落ちんとせし時、この地を通過し、当社に参拝路次恙無く彼の地に至らむ事を祈りけるに、当村の伊藤某と云へる者、玄光と共に義朝を扶けて柴船に潜伏せしめて難なく彼の地に着船せしめたりと云ひ、古書に有名なり。当時義朝の休息せし地も休息所と云ふ。其の傍・・・・・・・・・・ |
503-1325 岐阜県養老郡養老町飯ノ木477番地の1 |
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養老上石津支部 3179 |

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八幡神社
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詳細
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「創立年月不詳。寛延年中勧請の由相傳ふ。」と神社明細帳に記載せられたる事あるも、その後発見せられたる古帳「御百八燈之帳」に延宝二年八月十五日起りを以て年々祭礼に関する事項を記録しあるを見れば、延宝以前より鎮座せられたる古社なること明らかなり。・・・・・・・・・・ |
503-1314 岐阜県養老郡養老町高田1254番地 |
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養老上石津支部 3163 |

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八幡神社
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詳細
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承徳二年洪水にて神社に関する書類流失し、創建年月由縁不詳。熊野神社創建年月由緒不明古来末社。御鍬神社明和に鎮座之処水害の患に依り明治八年七月八日八幡神社境内に移転す。・・・・・・・・・・ |
503-1336 岐阜県養老郡養老町飯積字柵場162番地 |
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養老上石津支部 3193 |

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