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大将軍神社
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創立年月不詳。古来伝云ふ当村は往古の時牧谷と称して渓谷の両辺は皆原野なりしが、何れの頃か開墾して漸々家屋建設し、人民居住然るを開拓の順次に従い組をたて、久藏組と称し、該組合常に尊敬する処の藤原高光の○○を祀り、大将軍神社と号すと云ふ。・・・・・・・・・・ |
501-4237 岐阜県郡上市八幡町那比370番地 |
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郡上市支部 1433 |
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日吉神社
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創建の年月は不詳であるが、伝承によると応永十六年美濃国大桑の土岐一統が郡上郡を押領のため攻め入ったが、篠脇城主東益之(胤綱)のために撃退された。その後、益之は犬鳴山に城を築き城下の守護のため今の地に社祠を建てた。これが日吉神社の起源といわれる。元亀2年東氏の後裔遠藤慶隆は、織田信長の軍に従い比叡山攻・・・・・・・・・・ |
501-4222 岐阜県郡上市八幡町島谷字若宮683番地 |
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郡上市支部 1407 |
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稲荷神社
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当社は寛保11年(1741)の創建で、祭神は正一位稲荷大明神をお祀りしている。このあたりは旗本3千石金森左京の屋敷跡で現在も左京町と言っている。金森左京は元郡上藩主金森頼錦の分家であり、本家が宝暦の百姓一揆で断絶の時、一族で只一人特にお家存続を許され幕末の頃まで栄えた。この稲荷神社は左京の守護神であ・・・・・・・・・・ |
501-4222 岐阜県郡上市八幡町島谷字左京770番地の1 |
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郡上市支部 1408 |
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白山神社
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養老年中泰澄大師白山登山の際当村に暫時逗留ありて則ち別当社を建立すと云ふ。天暦年中大内藤原政法と云ふ者鷲見の郷に一城を築き芥見の庄一郷の主と為り、鷲見殿と号す。右領主より社領として高二石二斗余寄付あり。その後天正年中兵乱に鷲見一族滅亡に依り当社も廃頽す。享保村年七月十六日本社及拝殿を際営し、村社と崇・・・・・・・・・・ |
501-5303 岐阜県郡上市高鷲町大鷲字下畑184番地 |
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郡上市支部 1544 |
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白山神社
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養老年中越の泰澄の創建にして、即ち当郡四十九社の一社なり。泰澄加賀國白山開創の節帝都に屡々通行し、其の都度当地を仮休場とす。故に村名を苅安と号せしを明治八年白山村と改称す。当社社僧あり。眞福寺と称せしを維新の際廃寺となれり。・・・・・・・・・・ |
501-4106 岐阜県郡上市美並町白山字宮会津718番地 |
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郡上市支部 1387 |
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白山神社
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養老年中越の泰澄創建の由也。僧泰澄加州白山開闢の際屡々当地を往通して偶々一泊し里人を集め教化の因み白山神社の教信ずべきを説きしかば里俗大いに之れを信じ遂に当社を建設して氏神となし則ち泰澄の開基なりとは里俗の伝唱ふる所なれども当郡四十九社の中には見えず。・・・・・・・・・・ |
501-4206 岐阜県郡上市八幡町吉野570番地 |
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郡上市支部 1402 |
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白山・多賀神社
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慶長年中当村在農下平三郎平衛と申者守小谷洞と申所の尾の上に創建。延宝年中当境内に遷座す。多賀神社右に同じ。・・・・・・・・・・ |
501-4613 岐阜県郡上市大和町名皿部字小谷洞1380番地 |
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郡上市支部 1516 |
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八坂神社
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創立年月不詳。古来申傳ふるには当社は古山と称する往来の端にありしに往返りする牛馬怪我する事度々有りしに依りて今を去る六百年余り前則ち貞治年中今の処に遷祠せりと云ふ。・・・・・・・・・・ |
501-4101 岐阜県郡上市美並町上田1953番地の1 |
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郡上市支部 1374 |
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白山神社
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養老年中泰澄大師の白山登山の際、当村助右衛門に止宿あり。その時泰澄大師に帰依し暫く逗留あり。幸白山へ間近く此処を霊地なりと神社を創立して笹分宮と称し社殿並びに堂伽藍を建立し白山守に尊像を安置し、又霊地成ると聖武天皇勅を以て助右ェ門当三社別当但馬大瀧と賜ふ。泰澄大師白山へ登山の時助右衛門助七なる者鉈鎌・・・・・・・・・・ |
501-5304 岐阜県郡上市高鷲町鮎立堂ケ洞1959番地の1 |
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郡上市支部 1548 |
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河辺神社
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慶長年中火災に罹り古書類等焼失し、其の記事不詳なるが、僧空海が御神体を彫刻したるものと傳へ、旧藩時代は権現神社と称せしを明治の初年に河邊神社と改称する。河邊部落民全体の氏神として崇敬するに因る。・・・・・・・・・・ |
501-4606 岐阜県郡上市大和町河辺955番地の1 |
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郡上市支部 1502 |
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