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明建神社
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13世紀の初め、東氏胤行が下総国から入治したとき、千葉氏の氏神である妙見大菩薩を下総国から剣の阿千葉城の南の地に勧請し東氏の氏神とした。後に城を篠脇山へ移した際神社も現在の場所へ移した。天文10年(1541)東氏は八幡赤谷山へ城を移したが、氏神はこの地に祀ったままであった。東氏の後を継いだ遠藤氏も氏・・・・・・・・・・ |
501-4608 岐阜県郡上市大和町牧817番地の1 |
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郡上市支部 1505 |
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八神神社
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書類その他由緒を記すものは存在せず。口碑に伝ふるところによれば、当大字牧明建神社の末社として当もとが子部落の住人本田治郎作と申す者の発起にて組内協議の上高皇産霊、魂留産霊、神産霊、生産霊、足産霊、大宮比賣、事代主の八神を祀り、組内の崇尊神となしたるものなりと伝ふ。・・・・・・・・・・ |
501-4608 岐阜県郡上市大和町牧87番地 |
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郡上市支部 1504 |
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水神神社
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嘉吉元年、その頃此の里日照り甚だしく農民の苦痛は申すに及ばず、神仏に供へる阿伽の水さへも枯れ果て、人の命も危ふくなりし折から里人当地明建神社に祈りをかけ、門前市を為す。爾に神社の祢宜の娘に植生千代女あり。常に和歌の道をもてあそびしが、和歌を詠して神に祈る「御神仏に手向の阿伽も水月の神に祈りて久留栖野・・・・・・・・・・ |
501-4608 岐阜県郡上市大和町牧422番地 |
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郡上市支部 1507 |
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八幡神社
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縁起書等の保存せるものなければ、古老の口碑によれば、昔郡上郡の領主千葉東氏の家臣遠藤傳六郎と申者武道を志し弓矢八幡応神天皇の尊像を勧請して守神として現今の地に祀りしを、後世に至り本村タバタ部落並びに山田部落民の崇尊神として現今に傳ふ。・・・・・・・・・・ |
501-4608 岐阜県郡上市大和町牧1209番地 |
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郡上市支部 1506 |
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白山神社
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古老の口碑に依れば寛平元年当郡上郡の領主東氏の家臣和田藤十郎と申す者、伊弉諾、伊弉册、菊理媛の三神を祀り尊崇せしを、その後此の部落の住民相謀り現今の地に神殿を建て氏神として祀り、当村明建神社の末社として現在に至る。・・・・・・・・・・ |
501-4608 岐阜県郡上市大和町牧1285番地 |
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郡上市支部 1508 |
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