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若宮八幡神社
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詳細
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| 仁徳天皇大雀命若宮八幡神社と称奉り、応保三年摂津國高津宮より御魂代を此里に遷座。産土神と斎ひ奉り、依りて之の郷の名を津之宮と唱へ来しを、今は須之角宮とも、亦州之宮とも申し、祭主高和門三郎と云ふ。其の後天文二十年十二月近江國より山王神を相殿に奉遷。祭神大山咋神一座、同 若年宮一座、同 事代主神一座。右・・・・・・・・・・ |
| 509-6103 岐阜県瑞浪市稲津町小里2110番地 |
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瑞浪市支部 1850 |

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浅間神社
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詳細
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| 勧請年月日未詳。寛永十六年以来の再建棟札今に存す。大川の中央浅間山の山頂に鎮座ありて古来衆庶の信仰厚く本町及び近隣の村里に旱すれば雨を祈り、或いは此神を敬すれば能く悪病を免れ、怪我の難を避くと、故に遠近の里人登山する者少からず、年々九月二十日大川一同に於いて執行せり。明治四十一年三月御料地より三百八・・・・・・・・・・ |
| 509-6363 岐阜県瑞浪市陶町大川573番地 |
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瑞浪市支部 1887 |

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八幡神社
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詳細
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| 寛文8年南側の地に八幡山安楽院神誓寺を建立して社僧を居き、法印法師たる身分を以って弔事を除く神仏祭事一切を司りて七代、約200年を経たり明治初年神仏分離令が制定され、以前の行為は凡て排除され神官を以って神徳高揚に任ぜられる。明治6年神社諸制度改革のおり当宮も八幡神社と社名を改め社挌を村社に指定される・・・・・・・・・・ |
| 509-6104 岐阜県瑞浪市山田町468番地 |
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瑞浪市支部 1852 |

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日吉神社
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詳細
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| 当日吉神社は岐阜県土岐郡瑞浪土岐町大字寺河戸字森本77o番地の1に鎮座。祭神は大山咋神(亦の御名山未之大主神)と申し上げ、大年神の御子素盞鳴尊の御孫に坐す大神は山林、河川、田畑、造酒等農産事業に功績多く、生民安息の道に広大なる御神徳を垂れさせ給ふ御神なり。慶長二年十一月(後陽成天皇御宇)寺河戸(旧称・・・・・・・・・・ |
| 509-6128 岐阜県瑞浪市宮前町1丁目45番地 |
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瑞浪市支部 1858 |

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白山神社
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詳細
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| 創建年月日不詳。寛文七年十二月十八日再興。御祭神は白山比□羊命なり。・・・・・・・・・・ |
| 509-6101 岐阜県瑞浪市土岐町4406番地 |
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瑞浪市支部 1838 |

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耳木神社
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詳細
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| 常盤姫の哀話に因むお社
耳木神社というのは珍しい名前の神社ですが、それには次のような言い伝えがあります。今から約700年程前、明智の豪族の娘、常盤姫がこの地を領していた土岐頼兼の妻となりました。或る時、姫の衣擦れの音をおならの音と聞き違えた家臣達から嘲笑を受け、それを苦にして川に身を投げてしまいま・・・・・・・・・・ |
| 509-6101 岐阜県瑞浪市土岐町476番地の1 |
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瑞浪市支部 1840 |

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貴船神社
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詳細
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| 創立年月日不詳。当社は元貴船神社と称し来りしが、何時の頃よりか八王子則五男三女神を合祭して八王子神社とも称せり。安政三年二月貴船神社と改称す。古来村社更に明治六年五月十五日村社の格に列し、明治三十九年五月二十五日付を以て同正字平に鎮座の村社白髭神社を当社に合祀。・・・・・・・・・・ |
| 509-6251 岐阜県瑞浪市日吉町7327番地 |
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瑞浪市支部 1869 |

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土岐神社
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詳細
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| 正中年間の創祀。贈正四位土岐頼兼公は源依光公以来美濃國に縁故の深い美濃源氏の流れを汲み、鶴ヶ城主として文武両道に励み、徳を積み、善政を布き、領民悦服し、平和郷を建設せられた。時の鎌倉執権北条高時暗愚で政治を怠り、奢侈に耽り、人民塗炭の苦を受くると見るに忍びず、後醍醐天皇の密勅を奉じ北条氏討伐の謀に参・・・・・・・・・・ |
| 509-6101 岐阜県瑞浪市土岐町2659番地の17 |
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瑞浪市支部 1837 |

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刈安神社
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詳細
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| 明暦三年正月創祀。文明の頃尾州の春日井郡野口の城主西尾式部道永城ひて住み、刈安城と称し、関ヶ原の役に至り、其の後裔西尾次郎八有馬玄馬と戦ひ敗して自刃せるを里人之を祀れり。之を刈安権現と称せり。・・・・・・・・・・ |
| 509-6472 岐阜県瑞浪市釜戸町3770番地の1 |
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瑞浪市支部 1900 |

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白山神社
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詳細
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| 創祀不詳。そもそも当白山神社は加賀國石河郡白山神社より勧請。宝暦十年初秋再興。往古社殿焼失し、再創立したるも、其の年月日不詳なり。古来より村社なり。・・・・・・・・・・ |
| 509-6133 岐阜県瑞浪市明世町戸狩字別荘886番地 |
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瑞浪市支部 1861 |

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