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牛洞神社
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創建年月日不詳なるも本社後醍醐帝の御宇建武延元の頃根尾城主堀口美濃守貞満 備前朝倉氏連絡を通し南朝方なりし厚見郡長森城に根拠を有する土岐美濃守頼芸と大戦し建武四年三月一日土岐の武将大膳太史頼康三樹十郎道山経行と谷汲大洞に戦ひ堀口美濃守貞直大舘二郎等一族二百余人負軍となり 堀口美濃守貞直は智勇兼備の名・・・・・・・・・・ |
501-0561 岐阜県揖斐郡大野町牛洞2505番地 |
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揖斐郡支部 2938 |

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神明神社
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創建年月日不詳なるも口碑に依れば、今を去る五百年前の創建にかかり境内には古木鬱蒼として茂り、氏子の崇敬深く、盛夏の頃は氏子相集ひ涼しの場所として賑はひて地名も休み名と称せり。この地の郷民は殊に伊勢神宮を尊崇し、古より伊勢代参講を設け年々伊勢参拝を怠らず今日に至る。明治八年三月村社に列す。・・・・・・・・・・ |
501-0561 岐阜県揖斐郡大野町牛洞2743番地 |
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揖斐郡支部 2937 |

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神明神社
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創祀不詳なるも本社は古より現在の地に鎮座し巨岩の上に奉齋。俗に岩崎の宮と称す。境内には周囲一丈二尺余の古杉天を衝き、之れを見るも優に数百年以上の古社なり。尚氏子は伊勢の神宮を尊崇し、西隣の休名鎮座の神明神社の氏子と相謀り古より代参請を設け年々伊勢神宮参拝を怠らず今日に至る。明治八年三月村社に列す。・・・・・・・・・・ |
501-0561 岐阜県揖斐郡大野町牛洞504番地 |
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揖斐郡支部 2940 |

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白鬚神社
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本社は数百年前(年月日不詳)の創建と罹り戦国の頃宮田氏の (宮田氏幼名亀千代丸)戦ひ利あらす 泉州宮田の郷より三臣に守られ美濃の国長森城主土岐 少輔詮直々頼し来り再ひ同国福塚城主丸茂兵庫介を依頼し同国牛洞郷に居城し此地を領有したり 郷民 地を加賀野城と称したり 曩に当国来住の状宮田の祖神とし守・・・・・・・・・・ |
501-0561 岐阜県揖斐郡大野町牛洞94番地 |
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揖斐郡支部 2941 |

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北野神社
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創建年月日不詳なるも口碑に依れば本社に後醍醐帝の御宇建武延元の頃迄の地頭京都北の神社に御分神を乞ひ現在の地に奉齋創建せしものにして、その後美濃國清水城主稲葉一鐵公の家臣林甚太夫は牛洞村に蟄居し、菅原公を崇拝し、我が国民の皇室中心神仏尊崇を説き、弥々敬神の念を崇め社殿を改造せり。慶応二年四月大垣藩主戸・・・・・・・・・・ |
501-0561 岐阜県揖斐郡大野町牛洞2969番地 |
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揖斐郡支部 2939 |

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