
|
岩村神社
|
詳細
|
承久3年(1221)後鳥羽上皇が鎌倉幕府打倒の兵をあげたが幕府に鎮圧された事件を承久の乱という。承久の乱の頭目とみられたのが承久殉難五忠臣といわれる5人の公卿で一条信能はその一人である。彼は官軍の一将として出陣した岩村城主遠山景朝に伴われて鎌倉へ護送される途中幕命により、同年8月14日ここ遠山荘岩村・・・・・・・・・・ |
509-7403 岐阜県恵那市岩村町字若宮750番地 |
 |
|
恵那市支部 1599 |

|
三森神社
|
詳細
|
寛永十七年鎮座。寛永十七年諸国疫痢の愁之有り。諸人之苦を為す。三森三社を信じ奉安置しあり。(慶応四年四月大國寺村神社由緒書上帳に見ゆ)・・・・・・・・・・ |
509-7402 岐阜県恵那市岩村町富田字鈴ケ根6番地 |
 |
|
恵那市支部 1597 |

|
武並神社
|
詳細
|
武並神社は大己貴神を始め諸神を祭神として遠山景朝を配神として祀ってある。建立は岩村藩神社調に延久元年(1069)鎮座とする。鎌倉時代で父景廉を祀る岩村城内の八幡神社建立の少し後、建立と考えられる武並山の山頂に鎮座し町の西方から見守る氏神として町民の信仰をあがめ、寛永8年(1631)岩村城主松平乗寿が・・・・・・・・・・ |
509-7403 岐阜県恵那市岩村町字一色2287番地の1 |
 |
|
恵那市支部 1600 |

|
八幡神社
|
詳細
|
八幡神社は岩村城内にあり、岩村城創築と同時に誉田別命を祭神として城内鎮守の神社とした。岩村藩神明調に承久年中鎮座とあるのは、岩村城創築の祖加藤景廉公が承久3年(1221)に没したので、配神として景廉公を祀り座像を安置したことをさしている。城主はかわっても歴代城主及び家中の崇敬は篤かった。社殿の修理等・・・・・・・・・・ |
509-7403 岐阜県恵那市岩村町字大路18番地 |
 |
|
恵那市支部 1598 |

|
津島神社
|
詳細
|
当社は慶長十一年創建にして寛文二年十一月十五日に修復。正徳三年六月十五日再建文化十四年三月再建、天保十年修復。慶応二年三月二十四日修復。明治十五年四月二十二日屋根替。明治十七年拝殿新築。大正十二年拝殿改築。昭和十五年本殿を後方に移転し、渡り廊下増設石玉垣新設接続山林七畝八歩を購入、境内に編入。口伝に・・・・・・・・・・ |
509-7401 岐阜県恵那市岩村町飯羽間字平畑2007番地 |
 |
|
恵那市支部 1590 |

|
津島神社
|
詳細
|
創祀未詳。明暦四年五月四日再建とあり。寛延四年十月石段を造営。安永二年七月及び安永七年六月石灯籠を奉納し、天保十五年十月石段を増営せり。明治二十に知念四月一日社殿を改築せり。明治三十九年三好徳松石造鳥居を寄進建立す。・・・・・・・・・・ |
509-7401 岐阜県恵那市岩村町飯羽間字西川432番地 |
 |
|
恵那市支部 1588 |

|
秋葉神社
|
詳細
|
秋葉大権現は観音菩薩を垂迹而天明五年十一月小沢居住者三宝を奉じ弟子と為り後三番春日井氏庵一宇傲然頗尽輪魚美即請使予遷宮とあり。其の後神威顕著不可度を以て杉平に転たるも小沢者信心頗る厚く、朝暮祈念不怠是歳寛政四年春二月佛工再彫刻尊容すとあり。文○十二年三月再興とあり。天明五年十一月施主小沢 春日井忠左・・・・・・・・・・ |
509-7401 岐阜県恵那市岩村町飯羽間字上平3596番地の1の2 |
 |
|
恵那市支部 1587 |

|
白山神社
|
詳細
|
寛文八年の鎮座にして、慶応二年三月二十日社殿再建とあり。・・・・・・・・・・ |
509-7401 岐阜県恵那市岩村町飯羽間字寺屋敷2080番地 |
 |
|
恵那市支部 1591 |

|
八幡神社
|
詳細
|
元弘元年鎮座。山城國石清水御宮内より迎へ来り、当村産土社八幡宮と奉斎。寛文元年本社拝殿再建す。其の後乱世の時壌廃甚だしく、偶々時の岩村城主式部少輔丹羽氏定(氏定は正保三年より明暦三年までの城主)鷹狩りの節当社に参詣し、其の大破の状を見て恐懼し、本殿社殿拝殿を改築し、之れに渡殿を設け、尚社領として苗田・・・・・・・・・・ |
509-7402 岐阜県恵那市岩村町富田字郷中1915番地 |
 |
|
恵那市支部 1593 |

|
神明神社
|
詳細
|
享和元年八月十五日、伊勢國度会郡伊勢神宮より迎へ来り当村産土神、神明神社として奉祀。爾来八月十五日を以て祭日と定め、祭典を執行し来りしが、現今は毎年四月二十五日を祭日と定めて祭事を行ふ。大正七年五月拝殿を改築す。・・・・・・・・・・ |
509-7401 岐阜県恵那市岩村町飯羽間字中屋1000番地 |
 |
|
恵那市支部 1589 |

|