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天神神社
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詳細
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| 明治七年各務郡神社明細帳第一大区十五小区に掲載ある(天満社とあるは本神社)神社なり。・・・・・・・・・・ |
| 501-3124 岐阜県岐阜市大洞1丁目14番20号 |
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岐阜市支部 1149 |

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赤口神社
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詳細
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| 天文三年長良川筋がいまだかつてない大洪水のため小熊堤防が決壊し下流諸村落を呑み込むと共に、先端は一直線に桑名にまで達し、岐阜桑名間を帆掛船が往来するといった事態が生じた。この洪水に上流から一祠が厚見郡今泉郷地内に漂着した。村人はこれを下流に押し流したが、翌朝来て見ると元の岸辺に戻っており、近くの地に・・・・・・・・・・ |
| 500-8302 岐阜県岐阜市本郷町2丁目12番地 |
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岐阜市支部 986 |

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水天宮
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詳細
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| 創祀不詳。縁由不明。・・・・・・・・・・ |
| 500-8385 岐阜県岐阜市下奈良字向前堤塘敷地 |
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岐阜市支部 1006 |

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神明神社
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詳細
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| 創立年暦由緒不明なれども里傳に此の土地は低湿地にして、年々洪水有りて、作物不毛の地と化し、人命危ふきに至る事多し。されば里人感じする所となり慶長の始め頃より、現在の小高き所へ神明宮を勧請し、水防鎮護、五穀豊穣村民安全延命守護神として崇敬厚く古来より各藩諸士を始め、一般参拝者も繁く、次第に氏子崇敬者を・・・・・・・・・・ |
| 500-8366 岐阜県岐阜市宇佐東町18丁目15番地 |
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岐阜市支部 1001 |

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玉ノ井神社
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詳細
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| その始めは未詳と雖も、明応天文の頃、鵜飼庄の地頭斉藤利國の時より小野村惣鎮守の玉の井神社とあり、是天文の頃斉藤利良入道の所選美濃続風土紀に載、方縣郡鵜飼庄七郷の神社を記せり。小野村の本社は玉の井神社末社住吉神社とあり、天文の頃土岐在近太夫頼兼しばらく当社を領する時、七郷の里民に命じて一郷ごとにその村・・・・・・・・・・ |
| 501-1174 岐阜県岐阜市小野2丁目10番地 |
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岐阜市支部 1091 |

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津神社
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詳細
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| 創祀不詳と雖も、一説に延喜式神明町内美濃國方縣郡二座の内方縣津神社。美濃國神明帳方縣郡十一座の内方縣津明神は当社なりと云ふ。美濃國古蹟考に方縣郡方縣津神社在御麻津庄曽我屋村号津大明神近隣七邑当社を以て産土神と為す。神前池謂ふ。夕部池を御手洗と為す云々。古老伝曰く、当社は縣須身命、武淳川別命也。日本紀・・・・・・・・・・ |
| 501-0101 岐阜県岐阜市曽我屋字屋敷1631番地 |
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岐阜市支部 1029 |

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諏訪神社
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詳細
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| 勧請年月日不詳。然れども正徳元年日野庄屋利右ェ門より四名の役人宛に提出したる「厚見郡日野村」と「白山権現、天満天神、諏訪大明神、の三社調」の掟によれば、後奈良天皇の御代弘治元年に建つとあり。之れ創建ならんか。(日野天満神社の由緒による)
文化財等 獅子頭(1306年 嘉元4年)県指定文化財(・・・・・・・・・・ |
| 500-8207 岐阜県岐阜市日野北1丁目6番5号 |
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岐阜市支部 937 |

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八幡神社
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詳細
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| 当社延喜年間に一祠を創立し、その後暴風のため古社破壊す。其の後宝徳三年岐阜稲葉山の城主斉藤越前守利永普請奉行を以て右社を再建す。然るにその後又風雨のため傾斜するにより改めて建立すと雖も、事実不詳。さらに第二次世界大戦にて被爆焼失するも、再建し現在に至る。昔時織田信長公此の社を休憩所とし、枇杷を食し「・・・・・・・・・・ |
| 500-8838 岐阜県岐阜市八幡町15番地 |
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岐阜市支部 1022 |

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白山神社
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詳細
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| 元禄以前の創祀。元禄三年二月吉日の棟札あり。元禄三年二月、寛政十年二月十八日、文化十年八月、明治二十八年八月十三日。等棟札多し。延宝九年濃州厚見郡水海道村鑑差出帳に竿先免三十四屋敷、敷地二反三畝歩、白山権現宮御除け地。・・・・・・・・・・ |
| 500-8223 岐阜県岐阜市水海道3丁目3番11号 |
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岐阜市支部 944 |

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吉野神社
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詳細
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| 欽明天皇御宇創祀か。岐阜市長森地内に宣化天皇を奉祀して吉野神社と称する三社あり。而して他に宣化天皇を奉祀せる神社の有るを見聞に及ばず。私に史を按ずるに上古雄略天皇前後の時代大和地方治安十分ならず、皇族は各々地方に分散し給ひ、清寧天皇も亦継嗣の御皇子ましまさず、漸く兵庫に顕宗、仁賢両天皇を迎へて皇位を・・・・・・・・・・ |
| 500-8238 岐阜県岐阜市細畑3丁目11番19号 |
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岐阜市支部 957 |

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