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名木林神社
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詳細
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創立年紀不詳なりと雖も、美濃國神明帳に正五位名木林明神とある古社にして、俗に神明宮とも称して、又境内に藤の老樹ありしより藤の宮とも謂ひ、又東南に鎮座ましますを以て東の宮とも称へ奉る。明治五年郷社に列す。一説に大森は名木林明神の名より負はせたるなるべし。名の字は説文に大なりとあり即ち名は「オホ」の訓。・・・・・・・・・・ |
503-0116 岐阜県安八郡安八町大森1479番地の1 |
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安八郡支部 42 |

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加毛神社
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詳細
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長良川の支流、大榑川右岸堤沿いに鎮座。当社は、延喜式神名帳に見える安八郡四座の一つに比定され、美濃国神名帳には「従五位下加毛明神」とある。然し、時代は詳らかでないが白髭大明神を祀る宮となり、白髭神社と社名を変えた。天明8年(1788)村明細帳は「祭神白髭大明神、領主草創安八大夫」と認めている。また、・・・・・・・・・・ |
503-0205 岐阜県安八郡輪之内町下大榑東井堰13017番地 |
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安八郡支部 64 |

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伊富神社
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詳細
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社号の伊富は蓋し伊富部の略にて、祭神は伊富部氏の祖神、天之火明命なり。伊富部は美濃尾張に縁ある古姓なり。美濃明細記、百岐年に「安八郡牧邑一伊富社、同所富士社」とあり。又、新撰美濃誌に「牧村は馬ノ瀬の東にありて世安庄なり。伊富社村内にあり。富士権現(浅間神社)同地にあり。古城跡は村の南にありて、今田畠・・・・・・・・・・ |
503-0125 岐阜県安八郡安八町牧905番地 |
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安八郡支部 49 |

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宇波刀神社
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詳細
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垂仁天皇の御世創建。延喜式神明帳に安八郡宇波刀神社とあるは当社なりと云ふ。社号を亦伊勢大神宮或いは内宮、亦伊久良河宮とも称す。垂仁天皇の御世倭姫命天照大神を奉し、美濃國に遷幸の時、当國に四年奉斎し、次に尾張國に遷り給ふと云ふ。其の事日本書紀に倭姫命世記元々集等に詳なり。当社神鏡裏面の中央に宇波刀神社・・・・・・・・・・ |
503-0114 岐阜県安八郡安八町森部373番地の10 |
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安八郡支部 38 |

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日吉神社
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詳細
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弘仁年中安八郡惣社神主安八太夫存命不走なるに伝教大師の高徳を慕ひ、祈願を乞ければ、大師此の地に来り祈念ありければ、大夫喜悦の余り平野庄に於いて勧学院を建立。大師の○開山を五千石御朱印を給ふ。日吉山王を奉請神殿造九町九間日吉大門とせり。則下宮是なり。建久元年に源頼朝公上洛の砌日吉山王の前を下馬為敬の所・・・・・・・・・・ |
503-2312 岐阜県安八郡神戸町下宮村中1842番地の1 |
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安八郡支部 99 |

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六社神社
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詳細
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嘉暦三年九月創祀。本社祭神は古木像五体ありて社傳には天児屋命、天太玉命、天思兼命、天穂日命、天手力雄命とあり。本村は王朝時代駅家の一部にして土岐氏の一族守護神として嘉暦三年六社大神を奉祀せしと傳ふ。享禄三年より天正四年に至る揖斐川流域変遷の為水害を蒙ること夥し。寛文六年十一月の棟札あり。旧幕時代領主・・・・・・・・・・ |
503-2341 岐阜県安八郡神戸町西座倉324番地 |
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安八郡支部 122 |

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薩摩堰治水神社
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詳細
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創建昭和五十五年正月老人クラブ員一同の発案に依り薩摩義士の宝暦治水の中でも最大の難工事であった大樽川口の洗堰工事を誠に神業とも云うべき幾多の辛苦の末見事完成されました。特に当地輪之内町にもっとも力を尽くされて尊い命を捨ててまで御報仕致された命の方々に感謝の誠を捧げまつる事を町内全区にも賛同を得て、同・・・・・・・・・・ |
503-0202 岐阜県安八郡輪之内町大藪字新河原2865番地の9 |
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安八郡支部 59 |

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芝原神社
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詳細
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当社は芝原区の産土神として古来信奉し来る社なり。・・・・・・・・・・ |
503-0112 岐阜県安八郡安八町東結1387番地の1 |
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安八郡支部 24 |

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黄昏神社
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詳細
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創祀不詳なれども、往古より氏子の敬神の念厚し。・・・・・・・・・・ |
503-2316 岐阜県安八郡神戸町斉田字村間360番地の1 |
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安八郡支部 104 |

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結神社
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詳細
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揖斐川左岸の西結町屋に鎮座。祭神は天御中主神。高産霊神。神産霊神。猿田彦命。嘉応年間(1169-1172)の創建と伝え、縁結びの神として知られる。当社が鎮座する町屋は対岸の佐渡村とを結ぶ渡津で、往古から街道集落として賑わっていた。中世の文学作品である「十六夜日記」に阿佛尼は、心情を歌に託し祈願してい・・・・・・・・・・ |
503-0111 岐阜県安八郡安八町西結697番地の2 |
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安八郡支部 13 |

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