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纐纈神社
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俗に大明神社と称す。往古源頼朝鎌倉に幕府を開し時に当たりて京都登りの武士纐纈源吾盛康と唱ふる者、頼朝に縁故ありて関東に下向致したる折しも美濃國一の児郷上中村拝領土着せし。以来子孫連綿相続して今に至るまで此の地に住して交告氏の宗家となる。就中源吾盛康の孫修之助は勇猛の士なり。故に歿後人尊敬しての余り、・・・・・・・・・・ |
505-0121 岐阜県可児郡御嵩町中2177番地 |
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可児支部 559 |

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春日神社
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創祀未詳なれども、最古社なるよし著明なり。其は当村交告縫之助と云へる者の家に所蔵せる太政官符左弁被下春日社と記し、十六行に認め事に、嘉禎四年七月二十二日大史小槻宿禰少弁前原朝臣と是あり。紛れもなき古文書なり。文中社領のことも之有り。四至の境界をも記せり。濃州志略に曰く、春日大明神祠と載たり。同村交告・・・・・・・・・・ |
505-0121 岐阜県可児郡御嵩町中2095番地 |
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可児支部 557 |

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白山神社
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詳細
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創祀未詳なれども、慶長十三年九月二十七日再建。檀那中村御下、禰宜孫太夫等、棟札に記し、裏に纐纈利左右門始め四人の姓名を記せり。濃州志略に白山祠は一村の産土神に存す。祭祀八月十八日と記載せり。当村無格社に元白山社と云ふ社あり。当社は元白山社の分祀ならんかと思へれど、証拠なし。尚考へるに当社は本郷に近け・・・・・・・・・・ |
505-0121 岐阜県可児郡御嵩町中2058番地 |
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可児支部 560 |

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神明神社
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詳細
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寛永二十年十一月創祀。元禄六年六月十六日に記せし棟札に曰く、濃州一の御師中村里宝花院内先稔長徳四年十二月初めて当寺造立開山行智寛永二十年十一月初めて大神宮当地内に創立す。神明宮と号し、鎮守とす。此の地や小泉御厨一の児大寺の西に当たりて大杉樹廻り一丈三尺余り高さ数十丈空中に聳えり。遠近より之を見る棟札・・・・・・・・・・ |
505-0121 岐阜県可児郡御嵩町中2314番地 |
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可児支部 558 |

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秋葉神社
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詳細
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創祀未詳。天明三年十一月本郷中と刻字の石灯籠あり。・・・・・・・・・・ |
505-0121 岐阜県可児郡御嵩町中2774番地の1.2 |
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可児支部 556 |

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天満神社
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詳細
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名簿記載なし。所在不明。何れかの神社に合祀済みか。・・・・・・・・・・ |
505-0121 岐阜県可児郡御嵩町中中村中字今井2058番地 |
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可児支部 3291 |

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小泉神社
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詳細
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貞永二年鎌倉執権北条泰時、治世美濃國小泉庄の庄屋吉田主計正奏し、請ふて一宇の社殿を羽ヶ嶽に経営して牛頭天王を奉祀す。弘長三年最明寺入道夢想に依りて弥五郎殿を奉祀す。延文四年六月仮殿を造営して祠を中切に遷し、その地を拝んで天王洞と称し、この時を以て奉祀造進の始なりとす。同年一庵を西脇に建て、宝専寺と号・・・・・・・・・・ |
505-0114 岐阜県可児郡御嵩町中切1744番地 |
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可児支部 547 |

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金刀比羅神社
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詳細
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名簿記載なし。所在不明。何れかの神社に合祀済みか。・・・・・・・・・・ |
505-0121 岐阜県可児郡御嵩町中中村中2775番地の1,2 |
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可児支部 3290 |

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金刀比羅神社
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詳細
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名簿記載なし。所在不明。何れかの神社に合祀済みか。・・・・・・・・・・ |
505-0121 岐阜県可児郡御嵩町中中村中2753の2番地 |
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可児支部 3289 |

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