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上野神社
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詳細
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| 創祀不詳なれども寛文十三年再建の棟札現存。旧幕府時代より上野村一村の産土神として厚く崇敬を集む。
創祀は不詳であるが寛文十三年再建の棟札が現存し、現在の坂下地区、上野地区にある神社の中では最も古い形式の社殿である。旧幕府時代より上野村一村の産土神社として厚く崇敬を集めている。例祭には神幸祭が行われ・・・・・・・・・・ |
| 509-9231 岐阜県中津川市上野244番地 |
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中津川市支部 2292 |

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神明神社
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詳細
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| 享保十四年九月十五日創祀。○神明神社享保十四年九月十五日設立明治五年三月二十三日神鏡一面京都より奉迎字松源地へ合祀。明治八年九月十五日氏子復座願い出奉斎す。戸隠神社 明治五年三月二十三日字松源地坂下へ合祀。明治八年九月十五日復座奉斎。津島神社 明治五年三月二十三日松源地坂下神社へ合祀。明治八年九月十・・・・・・・・・・ |
| 509-9232 岐阜県中津川市坂下字握3607番地の1 |
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中津川市支部 2294 |

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天神神社
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詳細
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| 詳しくは不明ですが、中川旧記(明治13年中川恵作成智撰)によりますと、元は市内横町にお祭りしてありましたが、寛文3年(1663)に新道(今の中仙道)ができたので、その翌年に旭ケ丘に移転し本殿も新に建立されたとあります。
当支部内では数少ない天神社の一つであり、学問の神として学生達の参拝、願掛けの絵・・・・・・・・・・ |
| 508-0001 岐阜県中津川市中津川字山ノ田1361番地の2 |
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中津川市支部 2215 |

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中平神社
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詳細
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| 瀬戸と言う言葉の「せと」とは狭い又狭間という意味からきている。木曽川に迫ったこの地に少し平らな部分がありこれらの地に野久保・梅平・中平・中屋と名付け、古くからこの地を拓き、豐受姫神を祀り田畑を耕して生活してきた。この神社は「中平」に古くから鎮座している。木曽川沿いの神社では金山彦神・金山比賣神を祀っ・・・・・・・・・・ |
| 508-0101 岐阜県中津川市苗木字瀬戸610番地 |
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中津川市支部 2229 |

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稲荷神社
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詳細
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| 勧請不詳。明治五年三月二十三日字松源地坂下神社へ合祀。氏子再興復座再興を願い出許可あり雖も、明治三十二年九月二十二日、新たに官幣大社伏見稲荷から「正一位稲荷大神璽」を勧請。明治四十二年五月三日明治四ふ十二年五月三日夕八時全焼。明治四十三年四月二十日再建竣工。
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| 509-9232 岐阜県中津川市坂下島平1549の4 |
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中津川市支部 2299 |

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内理神社
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詳細
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| 寛文十一年創祀。奉謹請金峯社安閑天皇所願成就氏子繁昌息災延命修宇時寛文十一年蝋月吉辰とあり。一丘上に森を成して前面には田畑開け一色、一之瀬両区の崇敬社なり。此の付近に内裏屋敷と云ふ所あり。信濃宮(宗良親王)の帯宿所なりしが、永享年間尹良親王に従って英良親王来駕せられ、此処に教養せられしと謂ふ。信濃宮・・・・・・・・・・ |
| 509-8301 岐阜県中津川市蛭川字下一色4259番地の1 |
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中津川市支部 2283 |

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二渡神社
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詳細
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| 天明七年十一月創祀。その他由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
| 508-0421 岐阜県中津川市加子母字梅ノ木2254番地 |
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中津川市支部 2257 |

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丸小根神社
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詳細
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| 文政年間より明治初年まで秋葉神社を祀れりと云う。明治維新のとき秋葉神社を上地へ合祀し、取り払いとなりしが明治12年山の田組中に神社なきを遺憾に思い有志の者共御嶽神社等を祀った。・・・・・・・・・・ |
| 508-0101 岐阜県中津川市苗木字瀬戸1599番地10 |
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中津川市支部 2223 |

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天神神社
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詳細
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| 明暦三年九月創祀。その他由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
| 509-7321 岐阜県中津川市阿木字黒田中3871番地の1 |
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中津川市支部 2276 |

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富士ケ根神社
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詳細
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| 平安時代の末期(永暦1年1160)源義朝を尾張に於て殺害せし長田庄司忠致は、一時富士の裾野に逃れ居るところ、義朝の子頼朝が富士の巻狩をなし之を捕へんとすることを知り、身をもって信州諏訪に落ちたるところ、再び頼朝の追手がかかり、一族を連れて美濃苗木の地に逃れ、大久郷に居を定め、此の山を富士ケ根と名付く・・・・・・・・・・ |
| 508-0101 岐阜県中津川市苗木字富士ケ根1956番地の3 |
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中津川市支部 2226 |

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