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富士ケ根神社
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平安時代の末期(永暦1年1160)源義朝を尾張に於て殺害せし長田庄司忠致は、一時富士の裾野に逃れ居るところ、義朝の子頼朝が富士の巻狩をなし之を捕へんとすることを知り、身をもって信州諏訪に落ちたるところ、再び頼朝の追手がかかり、一族を連れて美濃苗木の地に逃れ、大久郷に居を定め、此の山を富士ケ根と名付く・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字富士ケ根1956番地の3 |
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中津川市支部 2226 |

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八幡神社
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この地域は狩り宿というが、江戸期には遠山美濃守の御狩り場であった。近くには矢場もあり弓道の練習場がある。武神を祀り敬神崇祖の念が篤かった遠山氏は、この地に八幡の大神を祀らせ武道に励み、武運長久を祈った。
かなり古い石の狛犬があるが年代は不詳である。・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字狩宿4391番地 |
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中津川市支部 2231 |

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八幡神社
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本社の創設は詳ならずといえども古老の言に聞き境内老木に依りて案ずるに4・5百年以前の創設にあらずやと推定する。棟札の保存宣ろしきを得ざる為失ひたるものありといえども保存せるものの銘に日く寛文2年再建とありて寛文初年には巳に古社たるを証するに足る由来八幡宮は武人の敬仰する処にして、城下唯一の八幡宮なる・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字八幡421番地 |
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中津川市支部 2227 |

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秋葉神社
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寛政年間この大牧の里に災害頻発し、中でも野火の延焼により民家数軒の類焼する難を受けた。当時この土地に苗木藩主遠山美濃守に仕える服部又十郎と云う人があって里人の相次ぐ難渋を救わん事を念願し、一宇を建て火産霊神を祭り、里人と共に信仰を続けた。その後年を経て、明治の御代に至り鈴木貞二と云う人が里人達と相計・・・・・・・・・・ |
508-0101 岐阜県中津川市苗木字大牧1531番地の5 |
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中津川市支部 2236 |

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