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天神神社
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詳細
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往昔天満天神と称せり。旧記に天神は右大臣菅原道真公之霊也。其先生自天穂日命、天穂日命の十有四世孫日野見宿禰中略天応元年野見宿禰之後遠江介土師宿禰左人敬位土師宿禰道長泰に請依其所居地名改土師為菅原姓、詔許之中略。是善之子者乃右大臣也。各道真字三幼而?悟方遇父祖中略相謀遂讒之帝疑之昌泰四年正月二十日左遷・・・・・・・・・・ |
503-2104 岐阜県不破郡垂井町市之尾字親ケ谷571番地 |
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不破郡支部 2546 |

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平田神社
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詳細
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往古より現地に鎮座ありて由緒不明。・・・・・・・・・・ |
503-2122 岐阜県不破郡垂井町表佐字相川通堤外4259番地 |
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不破郡支部 2565 |

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愛宕神社
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詳細
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元禄年中創祀。宝暦五年二月垂井大火にて全村殆ど焼滅し、再来尚数度の大火に罹災せし為村民相図り前記祭神を村内三ヶ所に奉祀せし一社にして以来絶て大火なく、村民信仰愈々篤き神社なり。・・・・・・・・・・ |
503-2100 岐阜県不破郡垂井町1088番地の1 |
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不破郡支部 2534 |

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天満神社
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詳細
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当社創建年紀不詳なりと雖も、郷土社寺記録集にも天満山の麓に従一位天満天神の祠ありと記載あり。社置の位置は関ヶ原部落の西方高地にして天満山の麓絶景の地にあり。境内の畔に藤古川の清流あり。近くに池寺池ありて風雅の地なり。社伝によれぱ、中古の頃京都北野神社の分霊を勧請したりと云ふ。付近一帯を社領地と定め、・・・・・・・・・・ |
503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字天満山4146番地 |
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不破郡支部 2510 |

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山神神社
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詳細
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創祀不詳なるも、古人の言に依れば、寛政年間より鎮座され、当部落民の山の神として信仰厚く現在に至る。・・・・・・・・・・ |
503-2108 岐阜県不破郡垂井町大石1278番地 |
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不破郡支部 2556 |

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神明神社
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詳細
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創祀不詳なるも、再興年度は天和元年十二月(棟札)遡りて再興以前を考ふるに、本社当大字新井地内字川原口(元宮田地名の一部なりしが慶安三年大滝川の決壊後は川原口と称す)に鎮座せしが、大滝川沼岸再度の水害を慮りて現在の位置に遷座せり。是再興の年度なりと而して故鎮座の地には伊勢杉と称する老杉ありて、幹の周囲・・・・・・・・・・ |
503-2105 岐阜県不破郡垂井町新井429番地 |
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不破郡支部 2547 |

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八幡神社
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詳細
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天正四年九月創建。古来村社。伝聞は永禄二年従五位下竹中遠江守重光大野郡大御堂の八幡神社を岩手村字谷に遷し一藩の氏神となし、崇敬す。又若宮神社とも称す。・・・・・・・・・・ |
503-2107 岐阜県不破郡垂井町岩手1046番地 |
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不破郡支部 2550 |

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稲荷神社
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詳細
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天保年間の創祀にして、村民の崇敬篤く、爾来年々代参を伏見稲荷神社へ立て、境内並びに社殿等の整備を行ひ益々神徳を高揚す。・・・・・・・・・・ |
503-2100 岐阜県不破郡垂井町702番地 |
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不破郡支部 2538 |

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子安神社
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詳細
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往昔より市之尾の氏神にして斎祀し来りたるも、明治の初年無格社と定めらる。文禄十三年十二月再興。以後数度改営を行ひて現今に至る。平治物語に佐渡式部太輔重成義朝に変って子安の森にて討ち死に云々分藤系図に重成於美濃國子康の森の辺にて自害とあるはここなるべし。三代実録に、貞観十八年七月十一日美濃國正六位上児・・・・・・・・・・ |
503-2104 岐阜県不破郡垂井町市之尾字乳母ケ谷591番地の2 |
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不破郡支部 2545 |

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若宮八幡神社
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詳細
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創立年紀不詳。里伝ふ、大友皇子の御佳墓なりと云ふ。日本書紀持統天皇紀曰く、白鳳元年云々秋七月美濃軍将等與大倭祭豪共誅大友皇子伝頭詣不破宮大日本史日村國男依等軍千栗田岡下撃犬春五千君谷?手斬之帝大友敗走自縊男依獲首與諸将詣不破宮献之此の外百茎根塘叢及新撰美濃走等不破郡藤下村若宮八幡社は大友皇子之霊社と・・・・・・・・・・ |
503-1542 岐阜県不破郡関ケ原町藤下字自害峯306番地 |
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不破郡支部 2521 |

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