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愛宕神社
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明治初年関ヶ原町広畑八十戸の守護神として私祭社を創建し、崇敬来りしが、明細帳脱漏神社なりしも、今回熱誠なる崇敬者の熱望により宗教法人令による公認神社として一層崇敬の誠を捧げる事となれり。・・・・・・・・・・ |
503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字広畑3145番地の5 |
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不破郡支部 2514 |

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若宮八幡神社
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創祀不詳。美濃國神名帳曰く従五位下田口明神とあるは此の社なり。現今若宮八幡社と称す。当村に伝はる記録中に曰く、若宮八幡宮、天徳四年四月中子曰宇佐より祭る。宝暦年中に今の所に移転す。此の社は元相川の北にありて三度社を移転せしと云ふ。昔は八月十五日供養ありと云ふ。右社の旧蹟は川北にふりと記せしに依りて其・・・・・・・・・・ |
503-2122 岐阜県不破郡垂井町表佐字五番屋敷1836番地 |
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不破郡支部 2563 |

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秋葉神社
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宝暦年間関ヶ原大火災に罹り、その後直ちに遠江國秋葉神社に参詣御分身を願ひ、現在之当地に御安置申し上。当町一戸なりとも有らん限り年々火祭り致すと誓願し昭和二年御屋根葺き替え致し今日に至る。・・・・・・・・・・ |
503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字大栗毛3956番地 |
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不破郡支部 2509 |

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稲荷神社
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創祀不詳なれど、明治初年迄金蓮寺境内に鎮座ありしを神仏分離のため同寺門前の現地に移し今日に及ぶ。・・・・・・・・・・ |
503-2100 岐阜県不破郡垂井町1619番地 |
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不破郡支部 2539 |

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館守神社
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創祀不詳。寛文十一年十一月再興之有り。其の後文化六年迄数度改造之有り。然るにその後風雨のため二社殿破倒す。明治八年に至り当村人氏有志を以て新造しお社と崇敬する所なり。里伝に曰く、往昔国府を当村に開き、國の守護職を置き、其の館を守衛たるを以て該社の名称之有を云ふ。其の地を御鎮守殿と称し、其の境内に往昔・・・・・・・・・・ |
503-2114 岐阜県不破郡垂井町府中2525番地 |
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不破郡支部 2559 |

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平尾神社
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貞享四年二月創祀。・・・・・・・・・・ |
503-2111 岐阜県不破郡垂井町平尾1320.1321番地の3 |
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不破郡支部 2557 |

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八幡神社
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当神社は創建年紀不詳なりと雖も、小関村の起源は最も古し。即ち壬申の乱の際天武天皇此の地に大捷を得給ひ、関東の地勢たるや軍事上警備上重要なる地点たる事を認められ、之がため翌白鳳元年には此の地に不破の関の正庁を設置せらる際小関村は北国脇往還の関門たるの故を以て不破関(大関)の姉妹関たる(小関)を置かる。・・・・・・・・・・ |
503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字一二ノ湯1371番地 |
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不破郡支部 2508 |

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喜久一丸稲荷神社
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明治五年垂井町字笹原区崇敬者百四十八人の守護神として創建し、約八十年間年々祭典を厳修し来れるが、熱誠ふる崇敬者等の願出に依り、宗教法人法に依り公認神社として一層崇敬の誠を捧る事となれり。・・・・・・・・・・ |
503-2100 岐阜県不破郡垂井町字笹原1891番地の2 |
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不破郡支部 2540 |

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八幡神社
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創立年月日不詳なるも遠き昔より部落住民の崇敬厚く、文政九年五月二十一日境界論の際にも宮代村の御料社領にして天保十年二月十一日再建せられ、明治三十五年五月十六日拝殿失火により再び再建なし、依然部落住民の信仰厚し。・・・・・・・・・・ |
503-2124 岐阜県不破郡垂井町宮代字境野1408番地の1 |
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不破郡支部 2570 |

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若宮八幡神社
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徳川幕府初期時代今須村字大河内奥宮谷口付近に部落を有する頃之が建立にかかり其の後灰原十郎兵衛なる武人の崇敬するところとなる。今尚同人の馬駈場と称する跡あり。其の後漸時時代の変遷により該大河内奥の部落は他へ転住してより既に百幾十年を経過せりと然れども該神社崇敬者そして氏子は存続し、年々祭事を営みつつあ・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須3682番地 |
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不破郡支部 2525 |

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