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若宮八幡神社
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創立年紀不詳。里伝ふ、大友皇子の御佳墓なりと云ふ。日本書紀持統天皇紀曰く、白鳳元年云々秋七月美濃軍将等與大倭祭豪共誅大友皇子伝頭詣不破宮大日本史日村國男依等軍千栗田岡下撃犬春五千君谷?手斬之帝大友敗走自縊男依獲首與諸将詣不破宮献之此の外百茎根塘叢及新撰美濃走等不破郡藤下村若宮八幡社は大友皇子之霊社と・・・・・・・・・・ |
503-1542 岐阜県不破郡関ケ原町藤下字自害峯306番地 |
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不破郡支部 2521 |
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貴船神社
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明治初年陣場野巳には各所に深井戸を穿つも湧水僅少にして、旱天には忽ち枯渇し、其の困苦を嘗めたり。因って区民は万難を脱せしめんことを議り、延長三百二十五間の隧道と汲み上げ設備を計画し、滾滾として浄水の通ずるを祈願するため天照大御神闇?を守護神として私祭社を創建し、崇敬来りしが、明細帳脱漏神社なれば、今・・・・・・・・・・ |
503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字陣場野946番地の1 |
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不破郡支部 2516 |
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青阪神社
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美濃名細記に従四位下青阪明神とあって景政五代裔孫長江四郎衛門季景の祭る所なり。長江秀景は其の四代の祖鎌倉小太郎景継其の子四郎左衛門義景頼朝に仕へ相模國長江に住す。依て長江と号す。承久の乱後相模國より此の地に移住す。・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須3519番地の1 |
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不破郡支部 2527 |
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八幡神社
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木田重朝三野乃國の守護の下知を蒙り縁門繁栄の為奉安せるが、後村民に深く崇敬する処となり、村社に列せられ今日に至る。・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須152番地 |
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不破郡支部 2523 |
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戸佐々神明神社
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創祀不詳。由縁不詳と雖も百茎根明細記事に土俗奉称戸佐々神明と称し亦清見原天皇奉斎とも云ふ。美濃神名記に関比男明神の社は藤川東岸の南往還の傍と記あれば、全く関比男明神の社ならんか。・・・・・・・・・・ |
503-1541 岐阜県不破郡関ケ原町松尾字大木戸156番地 |
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不破郡支部 2519 |
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愛宕神社
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天保初年今須村祖父谷区の守護神として創建し、代々崇敬し来り、今日に至る。明治初年今須村祖父谷区守護神として私祭社を創建し、崇敬厚かりしか、明細帳脱漏神社なりしが、今回崇敬者の熱誠なる故により宗教法人会になり、公認神社として一層崇敬誠を捧げる事となれり。・・・・・・・・・・ |
503-1543 岐阜県不破郡関ケ原町今須字水谷3857番地の3 |
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不破郡支部 2522 |
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神明神社
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祭神関ヶ原與一は今より凡そ七百余年前建暦第二歳卒すとあり。卒後第二代関ヶ原因幡尉、関東與市宮と称して奉祀せり。後與市の室、霊御前、健保第六歳死す。茲に夫妻共に合祀して、爾来幾多星霜の間、代々奉祀崇敬怠りなく、以て今日に及べり。・・・・・・・・・・ |
503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字小林340番地の1 |
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不破郡支部 2513 |
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北野神社
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関ヶ原は天武天皇が白鳳元年に不破の関を置かれてから国家として重要な土地であるとの意味から皇室の御領地となり、関ヶ原の中央には公文所を置かれ、官吏が駐在していた。その処を今も公門と称している。天慶二年に平将門が東國に反するや、国家を挙げて神仏にその調伏を祈願し、朝廷から固関使が来て、不破関を固めたり。・・・・・・・・・・ |
503-1501 岐阜県不破郡関ケ原町関ケ原字岡山748番地の2 |
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不破郡支部 2511 |
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