茜部神社 (あかなべじんじゃ)
通称     
主祭神  
      応神天皇(おうじんてんのう)
      神功皇后(じんぐうこうごう)
      竹内宿禰(たけのうちのすくね)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒500-8267 岐阜県岐阜市茜部寺屋敷3丁目135番地
由緒由来  
創設830年頃(天長年間)、祭神は応仁天皇(誉田別尊ほむたわけのみこと)、神功皇后(息長帶比売命おきながたらしひめのみこと)、武内宿弥(もとは比売大神ひめおおかみ)、祭礼4月5日・10月15日、東大寺荘園茜部荘(初めは厚見荘)は、710年頃できる。その守護神として830年頃勅令により宇佐八幡宮を勧請する。832年頃空海が神宮寺として成就院(本尊阿弥陀如来)を置く。全国神社約十万社中35000社は、八幡神社であり茜部神社は分社として10番目に古く有名な手向山、石清水、鶴岡より古い。祭神は宗社宇佐八幡宮を初め、応仁天皇、神功皇后(母)比売大神が大部分で、武内宿弥(臣)は希である。八幡神社の由来は複雑で5世紀頃に比売大神(海洋神・農耕神・鍛冶神)が祀られ、6世紀に応仁天皇(武勇・安全神・諸願成就神)、9世紀に神功皇后が合祀された。耶馬台国の卑弥呼は天照大神・壹与は比売大神との説がある。道三が信長と会見した帰りにここで休み、道三が亡くなった時の戦で兵火に罹っている。本社の御神体(本像)は、火災にて損傷しているが、一体はやや小さく明らかに比売大神である。明治維新の神仏分離で成就院の宝物は四散し、祭神比売大神は武内宿弥に変えられた。歴代加納城主の守護神であったし国守土岐政房の墓がこの裏にある。尾張藩主・稲葉城主・歴代加納城主らの奉納品が多く、昔は10月15日の祭礼には加納城から30余人の騎馬行列で参拝に来て流鏑馬・走馬式があった。その後戦前は花火・神楽芝居に多数の露店が出て賑わった。昭和25年岐阜市に合併し、祭礼も4月5日となる。式内社・郷社であった。
祭礼情報  
4月4日