村国真墨田神社 (むらくにますみたじんじゃ)
通称     
主祭神  
      天之火明命(あめのほあかりのみこと)
      金山彦命(かなやまびこのみこと)
      彦火火出見命(ひこほほでみのみこと)
      罔象女命(くらおかみのみこと)
      村国男依(むらくにのおより)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒509-0124 岐阜県各務原市鵜沼山崎町1丁目108番地
由緒由来  
村國真墨田神社は、美濃國一宮の南宮大社(不破郡垂井町)の主神金山彦命(かなやまひこのみこと)と、尾張一宮の真清田神社(愛知県一宮市)の主神天火明命(あめのほあかりのみこと)さらに後になって、この地を支配していた地方豪族村國氏の中より、天武元年(672)に起こった壬申の乱の際、大海人皇子(おおあまのおうじ後の天武天皇)に味方して功績をあげた村國男依(むらくにのおより)を、その後祭神として合祀し、古くから鵜沼の地の産土神として里人の崇敬を集めていました。その社名は、十世紀初頭の法典である「延喜式」(えんぎしき)の中の一巻である「神名帳」の中にも見出される、美濃國式内社の一社であります。又、当時の神社は現在の場所から数百メートル南の木曽川ぞいに有ったと伝えられ、その場所は現在は御旅所となっています。その後、時代は下って戦国時代になり、神社は当時の武将大沢氏一族の守護神となり、その居城鵜留摩(うるま)城(現鵜沼南町城山)の外堀外部に位置していましたが、永禄年間(1558-1570)織田信長の美濃侵攻によって大沢氏は城を追われ、鵜沼地方は織田家領となり、更に天正十二年(1584)小牧長久手の戦いにおける羽柴秀吉の犬山攻めに際して、この地の有力者であった河村惣六なる人物が秀吉に協力して恩賞を挙げた折、許可を得て現在の場所に神社を遷宮し現在に至っています。
祭礼情報  
10月第2日曜日