村国神社 (むらくにじんじゃ)
通称     
主祭神  
      村国男依命(むらくにのおよりのみこと)
      伊斯許理度売命(いしこりどめのみこと)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒509-0104 岐阜県各務原市各務おがせ町3丁目85番地
由緒由来  
当神社は、飛鳥時代、此の地一帯を治めていた村國氏の祖が、天之火明命と御子石凝老命を御祭神として創建された社であります。弘文元年、壬申の乱が興り豪族村國男依氏は、大海人皇子の命を受け、いち早く農兵3000人を引きつれ、不破の関を守り、大津街道を攻め上がり、大海人皇子の連に大勝をもたらし、天武の世となり、村國男依氏は此の勲功で、封120戸、功田10町とかばね性、連(むらじ)を賜り、帝の新任あつく時の政権の座につきましたが、天武4年天命を全し、此の世を去る。帝より外小柴の位を授り、子息村國連嶋主によって、此の社に村國連男依の命として祀られ、以来、村國の社と呼び、産土神として代々村國一族が守って参りました。時代は村國氏から、重臣各牟氏に移り延久4年約910年前、各牟宿弥良遠の時代に山獄信仰が盛んになり承保3年(900)前、各務宿弥良近によって白山大権現が合祀され守護神として農州一円の士豪は、戦勝を祈り大いにあがめ祀り爾来、鎌倉、室町、安土桃山と戦国の時代を守り祀りて江戸時代を経て現在に至る古き由緒ある神社であります。延長年代、延喜式内郷社となっていおり村國神社弐座と記載されております、別の壱座は御旅所と申して、村國連男依命の墳墓の地と云われ現在は椋の大木を御神木として斎奉る。境内裏山に古き時代を忍ぶ古墳群あり、此れを村國古墳公園として広く一般に公開し、憩いの場に使用している。
祭礼情報  
10月第2日曜日