八剱神社
(やつるぎじんじゃ) |
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主祭神 |
八坂入彦命(やさかいりひこのみこと) | 八坂入媛命(やさかいりひめのみこと) | 弟媛命(おとたちばなひめのみこと) |
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地図
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住所 |
〒509-0224 岐阜県可児市久々利1666番地 |
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由緒由来 |
創祀未詳なれども、美濃明細記第二巻に曰く、当区玖利邑八剱美也八坂入彦皇子、八坂入媛之霊を祭る社也。同記第八上に曰く、崇神天皇の皇子八坂入彦皇子、日本書紀に曰く、景行天皇四年美濃泳宮喚八坂入彦皇子之女、八坂入媛云々。以茲按ずるに八坂入彦皇子可児郡久々利佳。と載せ、木曽路名所図絵、泳宮祭神八坂入彦命、八坂入姫の霊を崇むと記し、美濃雑事記第四巻に曰く、泳宮祭神八坂入彦命八坂入姫の霊を崇む云々と見えたり。この泳宮と記せしは八剱宮のことなり。元禄三年、神社に納めたる札にも、八坂入媛を祭れる由を記載し、当村郷社八幡神社別当放生寺古書写の中にも、泳の八剱宮は八坂入媛也と載せたり。当村の内、字大萱と云へる地に八坂入彦命の御墓あり。御墓摂近の地に御霊社あり。八剱八幡神社と称す。中古本郷字東屋敷の地に移せりとの里伝なり。祭神を弟媛命なりと云ふ。古老の口碑もあれば、方今は祭神を八坂入彦命八坂入媛命弟媛命の三座とす。抑も当社は当久々利郷社八幡神社に由縁の深き神社にして、古来より例祭の日、八幡神社神輿、当社の境内に渡御の古例なり。八幡神社は崇神天皇合祀か。の考えもあれば、親しき天皇御父子孫の御間柄御由縁の深き。今更に之を○せすさて社号を八剱といへるは、中古文盲の世に当たりて八坂と書たは草体の坂の字を剱の草体によく似たれば、読み誤りたるものならんか。慶安四年六月上葺、本願久野見川長衛門と記せし棟札あり。濃州志略には八剱祠と載せたる社なり。 |
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