白鬚神社
(しらひげじんじゃ) |
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主祭神 |
猿田彦大神(さだひこのおおかみ) | 天照皇大神(あまてらすすめおおかみ) | 建速素戔嗚尊(たけはやすさのおのみこと) | 伊弉諾命(いざなぎのみこと) | 建御名方神(たけみなかたのかみ) | 天御陰命(あめのみかげのみこと) |
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地図
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住所 |
〒509-0206 岐阜県可児市土田3662番地の1 |
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由緒由来 |
天慶2年、平将門は、常陸の国にて貞盛の伯父国香を殺し、剰元王位を犯さんとせしかかば朝廷は直に参議右衛門守藤原忠文を征東大将軍とし同第刑部大橡忠舒三位武蔵守源経基を副将軍として、総勢4万6千騎常陸に向かわせらる。貞盛はこれを聞きて、早速君の勅許を得て手勢を引連れ征東軍に先立ちて将門討伐に向う途中、中仙道を経て近江国志賀郡の白鬚大明神を旅宿より遥拝し朝敵でもあり又伯父の敵を討つべく、心中深く祈願し少しまどろみし時、夢の中に忽然と白鬚大明神勇姿を現し給い「汝勇しくも朝敵誅伐の志願を起し首途安全の啓行を祈る。君の為に忠を致し父の為に孝をせんとする信心天地に応えたり安心く思う可し、我汝の甲の鉢に形を隠し守護し勝利を得さすべし。慎みて怠るなかれ、又美濃国木曽川の辺、大炊土の里に能き宮所ありて住まわんと思う、此処に路を迂し止むべし」と宣うと覚えて夢はさめたり、貞盛肝に銘じ則ち神託に任せ大井土の里(現土田下切)に来り宮所を探す時何方よりか白猿来りて貞盛を現在の宮野(大脇の船乗場付近)に案内して何処ともなく失せたり、貞盛は里人に命じて造営鎮座の儀を申し残し軍を率いて常陸に向い各所に連戦連勝し皈路白鬚神社に参拝し実納するに甲胄を以ってせり、中古永緑13年庚申3月現域山城主生駒道寿及子甚助は社殿頽廃せるを見て再興すべく同時に社を現在の地に遷し鬼門鎮護の神とせり、近郷にその礼格にして巌なるを以って有名なる当社祭礼は4月5日に行われ、流鏑馬の儀は貞盛東征の儀式に則りし |
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