白山神社 (はくさんじんじゃ)
通称     
主祭神  
      伊弉冊命(いざなみのみこと)
      伊弉諾命(いざなぎのみこと)
      菊理姫命(くくりひめのみこと)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒509-0315 岐阜県加茂郡川辺町比久見1611番地
由緒由来  
永禄元年正月十五日美濃国加茂郡福島村(上米田村福島)加茂山城主肥田玄蕃允義直の家老田口孫左ェ門大願に依って加賀国白山神社へ月参し、願満足すと雖も老年に及んで、今や歩行難儀にならんことをいたみ、加賀国白山の土と木苗並びに御幣とも社人より申請帰り、同十年六月この地に小社を建て東西十間南北十五間を境内と定められ、守護ありしが、天正十年六月肥田玄蕃允義直儀同国可児郡兼山城主森武蔵守長一の為に落城と相成り、肥田の一族跡を消して立ち退き肥田玄蕃の嫡男主水儀は夫れより下有知村(武儀郡美濃町)へ落ち行き、成長の後、知行二千石にて元尾張候へ召しかかゑられ、舎弟源之丞儀はその時家老田口孫左ェ門及び乳母み諸々と共に城山の北地なる比久見村(上米田村比久見)の里に至り、成長の後肥田嘉兵衛と改名し、農業を営み、子孫今に連続して嘉兵衛と称す。時に家老田口孫左衛門も終に老いて死す。当社勧請の由縁あるを以て田口孫左ェ門夫婦の神霊を末社と祭り、その後貞享二年一月境内古木を売却し、其の代金を以て再建の際、右肥田嘉兵衛始め肥田一統の者世話掛かりと相成り、寄付等一切なく、近辺の有志にて三尺四面の社殿再建し、並びに拝殿を建て、度々の修繕等も前記の通り有志金を以て取り繕いし事元尾張候寺社奉行所へも度々上申あり。宝暦頃より村方一同にて修繕し、天保六年十月元尾張藩士肥田孫左ェ門先祖の菩提寺の由風に聞き、統治龍洞寺へ参られ、該社由来前記の通り記載したる書物とも悉皆肥田嘉兵衛方に遺しあり。明治御改政の際肥田家に深き結縁ある当社の事とて神務の儀は肥田嘉兵衛方にて相努め日夜守護し来たる神社なり。大正十一年八月三十日本殿再建。大正十一年十一月二十五日再建。
祭礼情報  
3月第1日曜日