大神神社 (おおみわじんじゃ)
通称     
主祭神  
      大物主櫛甕玉命(おおものぬしくしみかたまのみこと)
摂末社祭神     
      神倭磐余彦天皇(かんやまといわれひこのすめらみこと)
      比売多多良五十鈴姫命(ひめたたらいすずひめのみこと)
地図 map
住所        
〒503-1625 岐阜県大垣市上石津町宮194番地の1
由緒由来  
伝持統天皇朱鳥六年創祀。当社は延喜式神明帳所載の多芸郡大神神社で、持統天皇伊勢國へ行幸の際、右大臣三輪朝臣高市麿、車駕を奉じて伊勢國三重郡に至った時、大物主、右大臣に託宣あって右大臣当地を選定して、創建の趣を伝ふ。鳥羽天皇の御宇永久元年郁季山宮ヶ平に奉仕しあつた神武天皇並びに皇后五十鈴媛命の社殿(天延元年創建)暴風のため破壊して、当社の御手洗川に流れ来り給ふによって拾い上げ、当社に合祀して流彦大明神と崇め奉る。永呂土俗大神神社を流彦大明神と称し奉る。なお七堂伽藍を創立し、眞藏寺、神護寺、隠丈寺、正林坊、浄法坊、正光坊の四寺三坊を創建し、大いに当社の繁栄を極めた。八十一代高倉天皇の御宇安元二年某縉紳から仏像の寄進あり。今猶存する。其後正位を授けられたといふ。明治四年社号復古の際迄正一位流彦大明神と称していた。後亀山天皇永和元年六月社地を移し、今の処に再営(住地から除地不輸租)するといふ。又云ふ、応安年中火災のため社殿及七堂伽藍を焼失。然し再営の資乏しく仮に当地に往古より祭る天武天皇の社に移した。時に大勧進左近将監丹尚守右近将監不破守、大近右衛門尉藤原数光、宮司弾正小野尚光禰宜國実光、日比日向為定下部藤原家吉、社僧神護寺法隆等之を奉仕した。正親町天皇天正六年(永禄年中とも)兵火のため類焼にかかり廃滅した。当時迄神領百五十石ありといふ。明正天皇正保三年四月、時の領主小笠原主膳正貞信、??木藤兵衛貞友、??木次郎兵エ貞之、??木四郎左衛門貞重、??木権右衛門貞勝等社殿を再営した。宝暦十年七月十日及八月八日付??木一学より百五十七坪の社地寄進あり。宝暦年間は最も隆盛を極め、神護寺は醍醐寺末寺となった。石燈籠等宝暦七年以降寄進数基あり。大日本史にも本社の記事を掲げている。明治四年正月社号を復古して大神神社と改称した。
祭礼情報  
10月10日