宮谷神明宮 (みやたにしんめいぐう)
通称     
主祭神  
      天照皇大御神(あまてらすすめおおみかみ)
      白山大神(はくさんのおおかみ)
      八幡大神(はちまんのおおかみ)
      諏訪大神(すわのおおかみ)
      日枝大神(ひえのおおかみ)
      津島大神(つしまのおおかみ)
      島姫大神(しまひめのおおかみ)
摂末社祭神     
      稲荷大神(いなりのおおかみ)
      山神大神(やまがみのおおかみ)
      大己貴大神(おおなむちのおおかみ)
      崇徳天皇(すとくてんのう)
      愛宕大神(あたごのおおかみ)
      八衢彦大神(やちまたひこのおおかみ)
      八衢姫大神(やちまたひめのおおかみ)
      久那度土大神(くなどのおおかみ)
地図 map
住所        
〒509-2506 岐阜県下呂市萩原町羽根字宮谷2842番地
由緒由来  
創建年代不祥。社頭の「夫婦杉」は五六百年以上と推定され当社の由緒を物語っている。また、源平時代、悪源太義平にまつわる幾多の地名・伝説等がある。戦国時代の天文五年(1536)、益田川の洪水により流失した字白山の白山宮、字丸島の八幡宮を合祀して「三社宮」と称した。寛永二年、都筑九郎四郎英昌が国主金森氏に請願して、木材の下付を得て社殿を再建した。更に寛文七年に再営し、同年三月十・十一日、神通堂御旅所を造営してこの日を例祭日と定めた。江戸時代国主・代官・郡代等の崇敬厚く、再建・再営等しばしば行われた。天明二年造営奉行寄進の木造狛犬が現存している。元禄検地に社地六反六畝二十歩の境内除地を受け、嘉永元年には神輿二基を再調した。
明治維新村社に列し、明治四十年に区内九社を合併合祀した。昭和十五年、現本殿・幣殿を新築して、飛騨の大祭を執行し、村内各神社を配祀して「川西総社」と称した。戦後、直ちに神社本庁に率先所属し、神社庁益田郡支部の創始となった。同二十三年、「夫婦杉」が岐阜県指定天然記念物に、また神社庁より「金幣社」の指定を受ける。同二十七年には、「宮谷神明宮」と改称した。同四十二年以降、社務所の新築寄進や鳥居・手水舎等の奉献があった。同五十二年、朝日大神宮創建仮殿の故をもって、神宮司庁より御神宝の下賜を受けた。同五十三年、本殿・幣殿等を銅板葺とし、本殿以下社務所に至るまで、全建築物を神明造りに統一し、飛騨国内唯一最古の神明宮となった。
境内社の「川西彰魂社」は、昭和十五年、宮谷神明宮の相殿に明治維新の高山県知事梅村速水等の御神霊を奉祀した「川西彰徳社」と、西上田神社の地神宮(大阪の陣出役)、大原騒動の農民の指導者国吉大明神(広瀬清七郎大人)をはじめ、旧川西村及び旧山之口村区域内の御英霊を、昭和三十一年に合併合祀して、「川西彰魂社」と改称し鎮祭した。平成十七年秋、御鎮座五十年記念大祭が遺族をはじめ約三百人の参列の中で盛大に斎行された。
川西彰魂社:高山県知事梅村速水大人命、天明・大原騒動犠牲者の英霊、川西・山之口関係の先賢・靖国の神霊
祭礼情報  
4月第2日曜日