櫻山八幡宮 (さくらやまはちまんぐう)
通称     
はちまんじんじゃ
八幡神社
主祭神  
      応神天皇(おうじんてんのう)
摂末社祭神     
      熱田大神(あつたおおかみ)
      香椎大神(かしいおおかみ)
地図 map
住所        
〒506-0858 岐阜県高山市桜町178番地
由緒由来  
創建は遠く仁徳天皇即位(377)の御代にさかのぼると伝えられる。当時飛騨山中に両面宿儺(りょうめんすくな)という蛮勇豪猛の凶賊がおり、天皇の命に叛き猛威を振るい人民を脅かしていた。この両面宿儺討伐に、難波根子武振熊命(なにわねこたけふるくまのみこと)が朝廷より征討将軍に任命された。武振熊命は官軍を率いて飛騨国に入り、先帝(御父君)応神天皇の尊霊を奉祀し、戦勝祈願せられたのが桜山の神域であったといわれている。その後、聖武天皇の御世と清和天皇の御世に諸国に八幡宮が祀られたとき、飛騨ではこの神域を八幡宮境内と定め御社殿は整えられたといわれる。室町時代の大永年間、京都の石清水八幡宮を勧請し更に郷人の敬神思想は高められたが、その後戦乱の時代が続き一時荒廃していた。元和9年(1623)高山の領主金森重頼は、江名子川から発見された御神像を八幡宮旧跡の桜山老杉の傍らに応神天皇の御神体として奉安し社殿を再興、神領を寄進し、高山の安川以北を氏子と定め、神事を管理高山府の総鎮守府とした。飛騨が天領となってからも、地域住民をはじめ代々の郡代の篤い崇敬を集めて興隆の一途を辿った。明治4年(1871)郷社に指定、同8年に高山の大火にあい、惜しくも秋葉社を除いてほとんど類焼したが、同33年に御社殿を復興、昭和7年に県社に指定、同26年に式年大祭再興、昭和43年屋台会館完成、同51年に総檜造りの本殿並びに拝殿・神門・瑞垣の御造営と神域は見違えるようになり、別表神社に加列、同55年社務所参集殿を改築、同56年5月飛騨国中300余社の神社を招請して式年大祭を再興し今日に至る。当桜山八幡宮は、氏子崇敬者の信仰にささえられ、当神社の例祭は「秋の高山祭」として全国からの参拝者で賑い、年間を通じて150万人の参拝者がある。
祭礼情報   公式HP url
(秋の)高山祭((あきの)たかやままつり)
10月9日〔2日間〕