八幡神社 (はちまんじんじゃ)
通称     
主祭神  
      応神天皇(おうじんてんのう)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒501-6042 岐阜県羽島郡笠松町八幡町117・118番地
由緒由来  
旧記に八幡社は徳田新田と笠松村との境にて徳田新田地内に勧請之有、笠松、徳田新田、柳原三ケ村の氏神に侯処、先年より笠松村にて祭礼入用等差出、寛永年中より笠松村役人名前の棟札之有。笠松村より宮守附置云々、と見え、勧請の年次は詳らかでないが笠松三郷開祭後間もなく創立したものであろう。古へ尾張国葉栗郡笠町と称せしを慶安(1648)3寅年、岡田将監郡代として南濃の内徳川領の村々を所務し此の地に假屋を建て、下吏を置き其の後寛文(1661)二寅年名取半左衛郡代の時より陣屋となり、其の頃より笠町の称を改めて笠松村と称し、八幡神社を以って産土神と崇敬す。爾来繁昌の一市街となり木曽川上下の通船数十隻常に此の地に碇泊し水陸運輸に便利な枢要の地となる。歴代の郡代は祭礼に必ず参拝し且つ初穂料を供進した。玉垣は朱塗りの木棚であったが安政4年春2月石玉垣に改造され石燈籠も寄進者によって供せられた。越えて明治元年5月巡閲使小原中納言は国家安泰の祈願のため幣帛料を供進し、この祈祷は社僧連宝院が奉仕した。明治元年笠松県が設置され県社に指定せらる。その例祭日には参拝使として官員を派出し荘厳に祭事を執行し且つ県庁は休日とした。明治4年廃藩置県により笠松県を廃止し岐阜県となる。それより郷社と改められた。社格廃止後昭和28年4月10日神社庁の規定により金幣社に指定せらる。例大祭日4月15日には軸数輌、神輿等盛大に繰り込み、特に往時を伝える絢爛な大名行列は他地区では見られない笠松名物として独特の厳粛な奉納儀式祭であり、古樹繁茂する神苑内に一大絵巻を繰り広げる壮観さは遠近よりの厚い信仰心のある参拝者で八幡神社境内を埋め尽くす。
祭礼情報  
4月15日