八王子神社
(はちおうじじんじゃ) |
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主祭神 |
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと) | 天穂日命(あめのほひのみこと) | 天津彦根命(あまつひこねのみこと) | 熊野樟日命 | 活津彦根命(くまのくすびのみこと) | 田心姫命(いくつひこねのみこと) | 湍津姫命(たごころひめのみこと) | 市杵島姫命(みずつひめのみこと) |
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地図
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住所 |
〒509-7731 岐阜県恵那市明智町1400番地の1 |
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由緒由来 |
社伝によると八王子神社は、天暦3年(949)勧請され社領2000石、明知、串原、高波、浅谷などの請村を武家の世が到来するまでは領していたといわれる。天正2年(1574)3月武田勢のために、城と共に焼かれ、慶長8年卯年(1603)十三代利景明知城再興、旧領安堵の御朱印拝受により、新たに社殿を再建した。その後延宝4年(1676)旗本四代遠山半九郎伊次公によって、現在の社殿が造営されたのである。当時としては実に豪華なもので、星霜300年に垂んとする今日、昔の姿のままであることは、誠に驚異に価するものである。八王子神社御祭神、天之忍穂耳命、天之菩卑能命、天津日子根命、活津日子根命、能野久須毘命、多紀理毘売命、市寸嶋比売命、多岐都比売命。天暦三年勧請にして、往古は社領二千石ありて、即ち明智村高波村串原村、浅谷村を以て之に充てしと云へり。然るに天正二年三月甲州勢当郡を侵掠せしとき此の森の中に伏兵あらん事を慮り放火せるに依り神殿旧記その他すべて烏有に帰す。爾来年月日は不詳と雖も、寛永十四年五月に遠山氏により再建す。 |
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