日吉神社 (ひよしじんじゃ)
通称     
主祭神  
      大山咋尊(おおやまぐいのみこと)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒501-4222 岐阜県郡上市八幡町島谷字若宮683番地
由緒由来  
創建の年月は不詳であるが、伝承によると応永十六年美濃国大桑の土岐一統が郡上郡を押領のため攻め入ったが、篠脇城主東益之(胤綱)のために撃退された。その後、益之は犬鳴山に城を築き城下の守護のため今の地に社祠を建てた。これが日吉神社の起源といわれる。元亀2年東氏の後裔遠藤慶隆は、織田信長の軍に従い比叡山攻めに当たって、かねて崇信しているこの宮に武運長久を祈願したことが、八幡町史にみえる。天成年中遠藤慶隆は、安久田から山王神をこの地に迎えて合祀として大宮山王と称し、八幡城下、吉田川以南の守護神として尊信した。慶長5年、山王神を元の安久田へ返し、社運は稍々衰えた。第二代八幡城主遠藤慶利の、正保2年再び安久田より山王神を迎えて祀った。これより漸次社運が興隆し、寛文7年第三代八幡城主遠藤常友の代に、近江坂本の日枝社より山王二十一社中聖真子神を勧請して山王権現と称し、川佐より真言宗の阿含院を城下島方に移して、山王権現の別当寺とし、飛鳥江氏を別当とした。宝暦年間になり郡上藩主となった青山氏も、亦当社に対する崇信の念篤く、安永年間より毎月扶持米代として金壱歩を給与し、城主在城の節は自から参拝し、不在の節は家老に代参させたという。天保年中、氏子平野長兵衛の一寄進に依って社殿・拝殿共に改築造営された。現在の本殿はそれである。尚拝殿は昭和42年1月23日に火災に罹り、偏額・絵馬・その他一物も残さず焼失した。現在の拝殿は昭和44年に建立完成されたものである。
祭礼情報  
4月第3土曜日〔2日間〕