星宮神社
(ほしのみやじんじゃ) |
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主祭神 |
明星天津神(みょうじょうあまつかみ) | 雄角明神(おづぬみょうじん) |
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地図
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住所 |
〒501-4102 岐阜県郡上市美並町高砂字坊切1252番地の1 |
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由緒由来 |
天暦のはじめ(947年頃)西の岳に妖鬼が住み、人々を悩ました。このことを都の帝に申し上げると藤原高光を妖鬼退治に遣わされた。高光は大岳に登りこれを退治して都へ帰った。しかし妖鬼の亡魂が山頂に留まり、夏に霜を降らせ五穀を枯らすなど人々を苦しめたので重ねて都へ申し上げると、再び高光を派遣された。しかし妖鬼の亡魂は近くでは雉の声をし、遠くではほととぎすの声のようであり、あちこちを飛び回るので容易に退治することは出来なかった。高光は虚空菩薩に亡魂退治を祈るとお告げがあり、南の岳で待っていると約3m程の大きな鳥が高光めがけて襲いかかってきたので、蕪矢で射ると命中し射落とすことができた。高光は大鳥の首を雁俣の矢でかき切り、死骸を焼いたので、その所を骨原というようになった。山が静まったので、福部が岳と名付け、禅定が峰ともいう。弓を治めた宮を高光の高の字をとって高賀山星宮粥川寺といい、虚空菩薩をお祀りした。天暦元年創祀。村上天皇天暦元年粥川氏藤原高光の創建当時其の里の西なる高岳福部岳に妖鬼住して陣宮に障碍をなす。勅命を以て高光遂に妖鬼を退治し該岳の麓に六社を建立し、当社を第一宮とす。高光の長子高森姓を粥川と称し元藤谷村を粥川村とし、粥川寺を建て美濃國神名帳内雄角明神是なり。明治十二年六月星宮神社と改称す。 |
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