五社神社 (ごしゃじんじゃ)
通称     
主祭神  
      荒城郡式内五社(あらきぐんしきないごしゃ)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒509-4256 岐阜県飛騨市古川町高野1929番地
由緒由来  
創祀未詳なれども、「神社明細帳」によれば、往古荒城郡(中古吉城郡と改正す)古川郷高野村(現小鷹利高野組也)古川城(近世蛤蜊城跡と云ふ)の巽大津洞(今大洞と云ふ)に位して大津神社と称え奉る。全国に並び無き社地外田畠宅地山林の除地を有し、建物神器その他地勢自ずから高く、岡巒邱壑森々として社前に馬場古池あり。その辺に老杉銀杏の大樹繁茂せり。宮川の長流に橋を架し(古名七継橋と称す)城下藩府の民屋平陸に連なり、往古の景況想ふに足れり。布施六三郎所持の旧物の内なる古書に曰く、荒城郡古川城下高野大津洞大津神社末社五坐。外社十二坐。光専寺持云々。五坐(延喜式神名帳飛騨國八坐の内当郡五社也)の所在を記載し、元暦元年二月飛騨國荒城郡神社仏閣取締高野光専寺古川上町國分寺某等の奥書あり。光専寺は現在字光専寺に堂宇の礎等旧跡判然たり。(美濃國長瀧寺末寺天台宗の古梵刹なり)(真宗に改宗して一向寺と改称し古川町に移転す。古川城主古川二郎某当城の鎮守神と崇敬し、永享元年三月鐘を鋳して奉る。嘉吉二年十一月平助清鰐口を捧ぐ。長禄元年八月藤原家氏神鏡を奉る。塩屋秋貞筑前守居城し、剱を納む。天正年中牛丸秀次相模守居城して同五年六月社殿を修繕す。同六年随身を寄付す。同十三年金森長近当城に入りて国士を討伐の時社頭に幣帛を献備し、浩国平定を祈願す。以下略
祭礼情報  
9月14日