白山神社 (はくさんじんじゃ)
通称     
主祭神  
      伊邪那美命(いざなみのみこと)
摂末社祭神     
      菊理姫命(くくりひめのみこと)
      伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
      剣大神(つるぎおおかみ)
地図 map
住所        
〒509-4201 岐阜県飛騨市古川町数河字宮田1776番地
由緒由来  
社伝によれば平安朝依然創祀。口碑に曰く、昔は現在の社地より乾方に当たる山峡に八面玲瓏として山頂を拓き数個の巨石を配置せる霊山あり。(神奈備或は伊波佐加なるべし)世々之を高津森と唱へ、後該地に小祠を建立するに及び、高津宮と尊称す。村民の信仰殊に深く、毎年春秋二回払暁未明に老幼各自松明を点じ、登山祭祀を行ふ。その延々たる行列の壮観想像するに余りあり。世人之を号けて数河の千燈祭と膾炙す。現干九月七日例祭前夜千燈祭を継承厳修しあり。爾後承平年間現在地字宮田に社殿を造営し、高津宮より神璽(石製神鏡)を遷座奉安す。(当社の宝物なり)而して其の旧跡一帯を宮ヶ洞と称し、今に至る。又宮ヶ洞山麓に別当社僧小宮司道海のため小言寺を建立以て当社の神事に奉仕せしむ。弘和二年七月社殿御造替す。永正十五年四月小言寺焼失。別当小宮司亦滅亡す。其の旧跡字小宮司山林大半は当社所有御旅所たり。中昔国内戦乱騒擾民心流離せる頃美濃長瀧の僧徒国内勧化回壇と称し徘徊する事多年。白山権現こし当國の鎮守たるべきなりとて、殿内に長二尺五分幅六寸八分の白山大権現の神号軸を掛けたり。(当社宝物として保存しあり)茲に於いて高津宮は世代の変遷に伴ひ不知不識の裡に社名を遂に白山宮としたるは遺憾の極みなり。此社に木像三体あり。此の里開拓の祖深山源左ェ門佐藤兵衛山村六郎兵衛等三名の農祖の霊を祀るとも云ひ、亦新墾の節三祖自ら神像を彫刻し、祭祀し、闢地殖民の功を祈願せしとも云へり。
祭礼情報  
9月5日