金生山神社
(かなぶさんじんじゃ) |
|
|
|
|
|
地図
|
住所 |
〒503-2213 岐阜県大垣市赤坂町4526番地 |
|
由緒由来 |
創建年紀は不詳であるが、元蔵王権現宮といって虚空蔵菩薩の鎮守であった明星輪寺の開祖役行者が吉野より勧請したといふ。赤坂古記録に「蔵王権現宮此の御社は虚空藏菩薩の鎮守なり。委細の事虚空蔵の縁起にあり。往古は六社なり。毎年三月十一日御祭礼あり。鐘(明徳四年御嵩蔵王権現推鐘の銘あり)は権現宮の鐘なり。境内岩山代々赤坂村禰宜持なり。今は宝光院の支配なり。此の御嵩蔵王権現宮は赤坂惣社にして村中の惣社なりと記されており、明治元年まで当町字虚空蔵に鎮座せられたが、明治二年三月現在の地に移転し、改めて安閑天皇を祭神として勧請した。伊雑宮神社(玉柱屋姫命)明治元年まで虚空蔵に鎮座。明治二年三月当境内に移転した。同四年社殿を再建す。神明神社(天照大神)慶長五年九月関ヶ原役の際村人が無事平穏を祈願の為勧請した。古来末社で、内宮社外宮社の両社があり、明治元年まで字口山に鎮座され、明治二年三月当境内に移転した。濃州赤坂宿記録に外宮横二尺七寸五分長三尺六寸高四尺七寸内宮横二尺八寸五分長三尺七寸高四尺七寸五分右は慶長五年九月石田治部少輔殿逆心の節大垣城へ大阪方籠城東方御象岐阜落城次後直ちに赤坂御陣場小○場に成申候其の節赤坂宿の者東方御先衆へ誅事案内仕る故放火乱暴無之請事御用郷村被相働申候之に依り妻子共は東光寺の上正法院の地飛の境内に妻子を入れ、亭主には御勝山の御用承申候其節此地飛境内の北南に外宮内宮の両社を建て、此度合戦東方御勝利我等の居宅に再為帰たまへざあらば、両社へ月々御灯明上げ可申旨日夜朝暮祈之然処東方御利運に依て其節より伊勢大神宮御初穂米一石宛年々之特。毎月灯明を上げ申候。今に至り地下より修復仕候とあり、両社を勧請し、村人が避難した正法院跡には南側及び東側に土手を構築した跡が明治の頃まで残存したが、今は石灰石採掘のため山を掘崩されて偲ぶ由もない。 稲荷神社(倉稲魂神)元赤坂町字土穴3795、3796番地にあったが、創建年紀不詳である。 |
|
|
|