八幡神社 (はちまんじんじゃ)
通称     
主祭神  
      応神天皇(おうじんてんのす)
      天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)
      仁徳天皇(にんとくてんのう)
      水波能売神(みずはのめのかみ)
      菅原道真(すがわらみちざね)
摂末社祭神     
地図 map
住所        
〒501-4221 岐阜県郡上市八幡町小野字ヒツツリ7番地
由緒由来  
承久二年創祀。本神社創設の儀は承久二年崇徳天皇の御宇大宮殿の御二男時丸殿御誕生ありし時天皇正月三日の御夢に是より東北に方り鷲の巣籠りありと見給ひ是れ霊夢なり探し見るべし。武蔵権守藤原頼保へ勅命あり。従者三十四一を召連れ東北指して尋ね登られける美濃國厚見郡(現在稲葉)長良川に至りければ、上流より鷲の羽流れ来りける。故武蔵権守藤原頼保之を拾い上げ見れば鷲の大石打と云へる羽なり。清浄なる白羽に八幡の文字著しく光沢あり。不思議の思をなし是れ正に神告なり押戴き是より奥山に鷲の巣あらん瑞祥なり弥に探し求むる事を心願し、郡上を指して登られけるに山坂の難所を越へ漸く小野村に至り初めて民家に止宿せられければ、此の里に因縁深きを感じ給ひ彼の拾ひ得たる鷲の羽を村人に与へ山麓の岩隅にさし置き其れより藤原頼保の従者手別をなし件の鷲の巣を探らむと上保筋明方筋へと登られける其後衆人挙げて其の山の頂上社を建立し、其の羽根を御神体に祭り郡上八幡宮と崇め来れり。藤原頼保は上保筋の奥地に於いて鷲の巣籠を捕獲し献納せし功により鷲見郷八ヶ村の地頭に封せられ、且つ鷲見姓を賜り後鷲見加賀守と称せり。然るに永禄二年遠藤六郎左ェ門盛数公其の山頂に築城の際社殿を其の山の山麓今の所に移せり。故に天守台の傍らに八幡屋敷と称して今も其の旧跡あり。本神社は爾来歴代城主の祈願所にして崇敬殊に深く、社殿建改築等祭祀並に諸貢に至る迄悉く領主の負担せられ、別当職として岩本院と称する寺院本社に付属し、常に奉幣祭祀の事を司らしめ手当等皆領主より給りたり。其の社殿は元山頂西向に建てられ現在の八幡町を猊下し得る所たり。本神社は付近最大の神社にして一般の信仰も厚く、八幡宮の名四方に高く随って爾来此の付近一帯を総称して八幡と呼ぶに至れり。
祭礼情報  
4月第3日曜日