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南宮神社
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里伝に、本郡水成山村南宮神社に美濃国不破郡中山に遷御の時泊宿の遺跡に創立したと云ふ。採鉱冶金鋳造など金山を主宰する霊神にましまして拓福開運の神、又盗除厄除の神、更に武徳の神として神徳高き金山彦命を奉斎し、古今朝野の崇敬極めて篤い。棟札によれば、天正三年年十一月社殿を再建。其れ以前は未詳。当社の所在地・・・・・・・・・・ |
501-3203 岐阜県関市神野265番地の3 |
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関市支部 845 |
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八幡神社
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山背國宇治郡神主大伴篁波当地に来り若津保某八鉾某と共に議て大寶元年八月十二日創祀し酒谷八幡宮と号す。大伴武波壬申乱に大友皇子に従い、軍破れて遁れて当地に来り、豊前國より宇佐八幡大神を勧請併せて多岐都姫を奉祀鳴瀧宮と称す。後世上津保の郷惣社と称するは是なり。元禄十二年社内盗人来り古書由来神宝盗み火を放・・・・・・・・・・ |
501-3601 岐阜県関市上之保字先谷2031・2032番地 |
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武儀支部 2662 |
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上矢作神社
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藤原高光公当国高賀山中に妖魔退治の為、下向の節、或夜霊夢に福部山嶽へ降臨の神々宜しく砥石川原の辺に白羽の社あり。其処に矢を作り来れば妖魔忽ち退治すべしとの御告げありければ、山崎○の頭森盛に汝尋ね来るべしと命じ給ひしかば、森盛砥石川原を守れば果たして砥石川原の辺りに九社ありて白き鳥の羽と箭あり。直ちに・・・・・・・・・・ |
501-2814 岐阜県関市洞戸菅谷字宮ケ洞1386番地 |
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武儀支部 2612 |
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八雲神社
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創祀未詳。里伝に曰く、享保又、元文の文字より、中御門天皇の御代又、徳川中期より疫病除けの神とし、祀りたる。旧号を天王と云へり。明治八年八雲神社と改称。・・・・・・・・・・ |
501-3936 岐阜県関市倉知字片町895番地の2 |
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関市支部 905 |
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重竹神社
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創祀未詳。由緒記述なし。・・・・・・・・・・ |
501-3217 岐阜県関市下有知1039番地の1 |
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関市支部 867 |
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神明神社
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由緒起源詳ならざれども、伝へ聞く所によれば、今を去る八百年前、源三位頼政公の伯母この地に住み、その頃既に鎮座しあり。以来幾度か社殿の改築あり。元禄三年には数本の常夜灯の寄付もありし。・・・・・・・・・・ |
501-3951 岐阜県関市植野字神明野752番地 |
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関市支部 912 |
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白山神社
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理伝云はく、周辺八ヶ村例祭に来勤す。其の村名不詳当社の座地を赤岳と云。是則和抄稲朽郷内也。故按此郷内の村々なるべし。加茂郡稲口村にその名残れり。置区の際迄加茂郡鋳物師屋祭祀に来勤す。遺風と謂ふべし。今他郡なるを以て区画を別にす。故参勤を廃止す。従五位下伊奈岐明神異本神明帳従四位下伊南木明神か。近隣関・・・・・・・・・・ |
501-3834 岐阜県関市大門町3丁目47番地 |
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関市支部 883 |
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石上神社
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創祀未詳。可児氏の氏神社なり。神社背後は石崖なり。境内に御鍬神社(祭神大水上御祖神)あり。大和の石上神宮との関係は不詳。・・・・・・・・・・ |
501-3511 岐阜県関市中之保森前1040番地 |
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武儀支部 2648 |
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春日神社
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創祀未詳なれども、元大明神と称す。字簗坪に鎮座の処宝永二年九月故有り、移転此の地を小簗と云ふ。簗坪は津保川の南也。故案ずるに本国名帳撰所載正五位下楊河明神此社ならんか。・・・・・・・・・・ |
501-3941 岐阜県関市小屋名976番地 |
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関市支部 908 |
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盥神社
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里伝によると第59代宇多天皇(法皇)は野村(後に宇多院村とした)の阿弥陀寺に行幸された。武芸八幡宮、美濃市大矢田の喪山神社、可児市の恵観寺などにも巡幸されたが、その折、不幸にも病に倒れられたため、ここに葬った。そこを「定着の御陵」といい盥神社(たらいじんじゃ)としてお奉りしている。
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501-2607 岐阜県関市武芸川町宇多院1318番地 |
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武儀支部 2597 |
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