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若宮八幡神社
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創建年紀不詳なるも、相当往古より在りし神社にして、棟札は元禄十六年三月以後なれども、其の以前の分は慶長年間関ヶ原合戦の当時紛乱したるものなるべし。西軍の主将大谷吉隆の陣営地宮上と称するは此の社を指して云ふなり。古くより当山中村住民の氏神として崇敬殊に厚し。・・・・・・・・・・ |
503-1544 岐阜県不破郡関ケ原町山中字了願寺32番地の1 |
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不破郡支部 2531 |
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若宮八幡神社
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創立年月不詳。但し寛永十六年十二月、明暦元年、延宝七年、宝永七年、明和九年、天明七年、文化九年、天保十年、慶応三年以上造営の棟札あり。尚明治四十三年三月二十九日無格社三狐神社、同年十二月二十七日無格社神明神社を合併す。・・・・・・・・・・ |
502-0851 岐阜県岐阜市鷺山下土居字若宮173番地 |
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岐阜市支部 1195 |
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若宮八幡神社
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長享二年二月創建。明治六年一月郷社に列す。往古境内池あり。此の池の水は眼病等悩む者用ゐれば其の病平癒すと云ふ。此の池は境外にあり。往古より境内に池あり。此の水を戴き付くれば第一眼病頭痒等平癒し、又水を戴き飲めば疾病全快す。高須旧藩主松平義生氏先祖在藩中年々自ら参拝せられ、又初代崇厳院殿内室千代姫君(・・・・・・・・・・ |
503-0618 岐阜県海津市海津町草場38番地 |
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海津市支部 714 |
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若宮八幡神社
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仁徳天皇大雀命若宮八幡神社と称奉り、応保三年摂津國高津宮より御魂代を此里に遷座。産土神と斎ひ奉り、依りて之の郷の名を津之宮と唱へ来しを、今は須之角宮とも、亦州之宮とも申し、祭主高和門三郎と云ふ。其の後天文二十年十二月近江國より山王神を相殿に奉遷。祭神大山咋神一座、同 若年宮一座、同 事代主神一座。右・・・・・・・・・・ |
509-6103 岐阜県瑞浪市稲津町小里2110番地 |
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瑞浪市支部 1850 |
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若宮八幡神社
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創立年紀不詳なり。延宝八年十二月十四日再興。往古本村の大橋伊左ェ門旧宅地の側に鎮座ありたるを元禄五年当境内へ移転す。本社神實の儀は明治四年三月旧大垣藩神祇方巡回改めのところ仏体につき、遷換を命ぜられ、更に幣帛を納め神實と崇め奉り石仏体は大橋伊左ェ門縁由ある故によりて旧藩へ伺決の上同人宅へ移安す。因み・・・・・・・・・・ |
503-0407 岐阜県海津市南濃町徳田字大原399番地の2 |
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海津市支部 662 |
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若宮八幡神社
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
503-1302 岐阜県養老郡養老町大坪400番地 |
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養老上石津支部 3149 |
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若宮八幡神社
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勧請年月日不詳なるも、寛文六年四月社殿を建立のこと。棟札にて知る。・・・・・・・・・・ |
501-0555 岐阜県揖斐郡大野町公郷字十三之坪2474番地 |
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揖斐郡支部 2932 |
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若宮八幡神社
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創立年紀不詳。里伝ふ、大友皇子の御佳墓なりと云ふ。日本書紀持統天皇紀曰く、白鳳元年云々秋七月美濃軍将等與大倭祭豪共誅大友皇子伝頭詣不破宮大日本史日村國男依等軍千栗田岡下撃犬春五千君谷?手斬之帝大友敗走自縊男依獲首與諸将詣不破宮献之此の外百茎根塘叢及新撰美濃走等不破郡藤下村若宮八幡社は大友皇子之霊社と・・・・・・・・・・ |
503-1542 岐阜県不破郡関ケ原町藤下字自害峯306番地 |
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不破郡支部 2521 |
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若宮八幡神社
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当社創立年月不詳なりと雖も往古より岩利村北洞の産土神たり。社伝口碑に依れば後柏原天皇大永年中当村居住岩利善右衛門再営す云々。里老曰く、岩利氏は元佐野氏より分派せるものにして清和源氏満政流○四下刑ア権大輔左衛門尉忠重を祖とし、七曜を以て家紋とす云々。善右衛門世々斎藤に仕へ岩利庄を領す云々。美濃諸旧記土・・・・・・・・・・ |
501-1102 岐阜県岐阜市岩利北洞前775番地 |
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岐阜市支部 1058 |
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若宮八幡神社
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百久根美濃國下組土岐郡明世村月吉の里字清水洞に鎮座の若宮八幡神社は延宝八年八月二十四日創建。古来村社に有れ共、其の実棟札に付け、調べるに付け是創建にあらずして、再建なり。元此の月吉村旧幕府徳川家の領地にして、御料所と唱へ、笠松郡代所の支配なりし所、所司代派遣ある毎に此の月吉は古来より和歌集に「みの國・・・・・・・・・・ |
509-6131 岐阜県瑞浪市明世町月吉978番地の1 |
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瑞浪市支部 1859 |
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