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神明神社
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勧請年月日不詳当社は福江村の西北にありていにしえ福江村の枝村なり(元野一色村とも云へり)美濃國神名台帳曰く多芸郡座(十六座の内)従五位上大謂明神なり。(三代実録曰く斉衡二年閏四月美濃國多芸郡石津郡とありて石津郡古え多芸郡の内なり延喜の頃には既に分かれてありけむを式の神名帳に多芸郡四座とありて其の内に・・・・・・・・・・ |
503-0634 岐阜県海津市海津町沼新田527番地 |
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海津市支部 730 |
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神明神社
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創立年月日は不詳なれども、徳川中期之頃天祖天照大神の御神徳を崇敬して郷土鎮護の神として奉鎮せるが創祀ならん。・・・・・・・・・・ |
501-6065 岐阜県羽島郡笠松町門間字東出640番地 |
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羽島支部 182 |
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神明神社
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享保十四年九月十五日創祀。○神明神社享保十四年九月十五日設立明治五年三月二十三日神鏡一面京都より奉迎字松源地へ合祀。明治八年九月十五日氏子復座願い出奉斎す。戸隠神社 明治五年三月二十三日字松源地坂下へ合祀。明治八年九月十五日復座奉斎。津島神社 明治五年三月二十三日松源地坂下神社へ合祀。明治八年九月十・・・・・・・・・・ |
509-9232 岐阜県中津川市坂下字握3607番地の1 |
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中津川市支部 2294 |
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神明神社
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当神社は創立年紀不詳なれども天文年間の大洪水に島田村の中央に長良川の流條変り川北島田と川南島田と分断され、慶長年間の築堤により現境内に遷座。当島田区の氏神となり、川北島田よりも祭典には奉幣ありしも明治初年氏子区域も定まり当島田の氏神として尊崇し来れるものなり。・・・・・・・・・・ |
500-8317 岐阜県岐阜市島田西町1丁目10番地 |
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岐阜市支部 988 |
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神明神社
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宝暦十三年四月十六日再建の棟札を存し、裏面に先々年雖紛失天正十六年癸未当社創建云々」その他由緒不詳。・・・・・・・・・・ |
509-5122 岐阜県土岐市土岐津町土岐口1373番地 |
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土岐支部 2320 |
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神明神社
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創祀未詳と雖も、貞享元年十二月再建。天正四年別当龍寶山円満寺地福法印代再建其後天和二年雷火にて炎上棟札等灰燼因りて茲に初発鎮座三年歴不詳。其後貞享元年別当仲安代再建。本願山内六左衛門、松村徳右衛門。・・・・・・・・・・ |
509-7601 岐阜県恵那市山岡町久保原1445番地 |
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恵那市支部 1618 |
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神明神社
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慶安二年四月二十一日氏子中勧請鎮座。大正十三年八月廿日谷村須衛字丁田無格社南宮神社同大字字井坂無格社津島神社同大字字井坂無格社白山神社を当社に合併す。・・・・・・・・・・ |
509-0108 岐阜県各務原市須衛町5丁目83番地 |
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各務原市支部 825 |
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神明神社
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上川手神明神社の由来は古く第12代景行天皇の皇子御誕生の地とされ第56代清和天皇より貞観18年(876)7月11日「勅使児宮正六位」の宣下、その後「従五位子安宮」を賜う又その後南宮の勅使下向「正五位」を賜うとあり、明治の末期頃迄は子安宮と言い安産祈願のため多くの参詣人があったと伝へられています。毎年・・・・・・・・・・ |
500-8245 岐阜県岐阜市上川手字南出260番地 |
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岐阜市支部 959 |
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神明神社
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神鳳秒日内宮池田御厨六十七町七反三百歩上分田六町反別百五十文宛八丈絹六匹紙五十帖絹七匹貢献とあり。当郡長瀬村永保寺旧記池田御厨長瀬村云々大原村云々之れによりて考ふれば往古は方今の八ヶ村は御厨神領たる事明らかなり。御厨の廃せられたるは何時なるや不詳。神明神社を祀れるは、御厨のありし故なり。社地は古来よ・・・・・・・・・・ |
507-0048 岐阜県多治見市池田町6丁目18番地 |
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多治見支部 1916 |
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神明神社
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本社は元奥洞戸村に属す。明治四十二年一月字明神森無格社八幡神社同神明神社を合併す。・・・・・・・・・・ |
501-2901 岐阜県関市板取6315番地 |
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武儀支部 2627 |
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