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神明神社
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詳細
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創祀未詳。貞享四年九月再建の棟札あり。古来久々利村枝名大平の村社なり。・・・・・・・・・・ |
509-0224 岐阜県可児市久々利3番地の160 |
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可児支部 601 |
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神明神社
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当区内に宇須米と云ふ小字あり。古来よりの名称にて檜老木を存し、往古宇受賣神社有りしと伝ふ。現在当社の御旅所なり。元禄検地帳には二畝廿九歩郷中抱神明宮地同じく四畝二十八歩除地と記載さる。弘化三年九月二十九日神明宮本殿一宇奉建す。明治四年一月大宮賣神を配祀す。明治二十五年十一月十二日神明宮本殿を再建す。・・・・・・・・・・ |
506-0103 岐阜県高山市清見町藤瀬字塚中609番地 |
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大野支部 2122 |
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神明神社
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詳細
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創祀不詳。由縁不詳。・・・・・・・・・・ |
501-0466 岐阜県本巣市下真桑字神明675番地 |
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本巣郡支部 2801 |
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神明神社
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詳細
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於濃州米野村之土地玉座八尺四方外境二間四方右奉寄進善女龍王領座之霊場者也。村社 神明社事。天保十三年九月二十六日奉再建神明宮願主米野村産子中。・・・・・・・・・・ |
503-0847 岐阜県大垣市米野町字道上751番地 |
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大垣市支部 1992 |
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神明神社
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創祀未詳。里説に云ふ。中古領主江馬家二代高原太郎朝方殿の代に領内村々耕地開墾道路修繕の役として、本城より地の方北越境界守衛の為横山清太夫重政此の地に旅館を建て、引き移り耕地を開墾し道路を開き民家増益して、一村を開く。奮名荒田を改めて横山村と通称す。村地の頭に皇大神宮の御分霊を勧請奉りて一村の産土神と・・・・・・・・・・ |
506-1203 岐阜県飛騨市神岡町横山494番地 |
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吉城郡支部 1256 |
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神明神社
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里伝に曰く、当社は当村神明組三十二戸のものにて、古来より挙げて本居大神と称し、崇敬し来りしと云ふ。然るに明治四年三月旧苗木藩の命により、当村字五明へ合祀し、後明治十一年四月許可を得て旧社へ復坐す。明治三十四年十月十八日許可を得て現今の地に移転鎮座す。・・・・・・・・・・ |
509-8232 岐阜県恵那市飯地町1241番地の2 |
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恵那市支部 1671 |
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神明神社
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当村日比久助なる者、享保九年八月一祠をこの地に創建した。その子細は、現境内の東方に霊泉があり、(今存す)人之を汲んで忽然殃害あるを以て、その泉上の山中に火神を奉祀した。爾来その禍は絶えるに至ったと傳へている。境内津島神社は慶応三年疫病大いに流行したので、尾張國津島神社の御分霊を奉迎して以来信仰篤く、・・・・・・・・・・ |
503-1624 岐阜県大垣市上石津町三ッ里864番地の1 |
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養老上石津支部 3241 |
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神明神社
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養老年中越の泰澄加賀國白山開創の後郡上郡に四十九社を創立す。当社は其の一社にして中山明神と称へ衆庶尊敬せりと云ふ。故に村名を中山と称し、由然れとも神明と社号を改称せしは何の頃か知り難し。・・・・・・・・・・ |
501-4236 岐阜県郡上市八幡町相生993番地の1 |
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郡上市支部 1425 |
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神明神社
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創祀未詳。由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
509-0203 岐阜県可児市下恵土3437番地 |
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可児支部 578 |
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神明神社
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第十二代景行天皇の御代舂米宿弥氏美濃国当地に在り。荒地を開墾し田畑を造り米作りをしたのが当本郷の始まりという。その后仁和4年(888)夏、当地方旱天続き、池田山の谷川総て水枯れ、農作物も枯死寸前に至り飲料水も事欠き村人難渋のとき樋口金吾祐寛等山中に入り谷奥に水源を求め樋を埋め池を堀り導水したので漸く・・・・・・・・・・ |
503-2417 岐阜県揖斐郡池田町本郷547番地 |
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揖斐郡支部 3062 |
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