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八幡神社
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昔佐竹一統大永の頃より南蛇持村に居住し、氏神として寛文三年八幡宮を建立す。後貞享三年洪水の為倒潰に瀕し寛永四年正月中興建立。宝暦年中改築。明和九年家並御改帳に境内石見御検御除地とあり。産土神として永代崇拝の社たり。明治四年七月太政官達により村社に属す。・・・・・・・・・・ |
503-1303 岐阜県養老郡養老町蛇持100番地 |
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養老上石津支部 3151 |

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八幡神社
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創建不詳。社地境内に相羽城跡の石柱あり。相羽城は美濃國明細記に曰く長屋大膳之亮景與及其嫡子長屋與五右ェ門景直垂井城主景教の嫡子景興に属、土岐二万石を領し、天文十六年土岐頼芸没落の時斉藤道三に不従為に道三相羽城を攻め十二月景興及景直父子共に戦死す。故に当八幡神社に石碑を建立しありて、後日八幡神社に合祀・・・・・・・・・・ |
501-0522 岐阜県揖斐郡大野町相羽2丁目1299番地 |
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揖斐郡支部 2908 |

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八幡神社
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由緒不詳なれど、新撰美濃志に柳湊は梶屋の北にあり。尾張領五十二石枝郷一所細江村は西にあり。八幡社は当村にありと見ゆ古社なり。細江の西の川原に義朝楊枝柳と言へる一株あり。義朝が尾張の野間へ落ち行く途中に楊枝を差して行きけるが根付たるものとて古来大切にせしが、近年枯死せり。八幡社の在るも源氏に縁が有るか・・・・・・・・・・ |
503-0631 岐阜県海津市海津町稲山字一の割434番地 |
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海津市支部 728 |

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八幡神社
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創立年月日不詳なるも村内繁栄のため奉齋す。当社は元大字三柿野村中108番地の1に在りしが、軍事上必要に依り現在の地に移転せん事を出願し、昭和十五年七月十五日許可同年八月三十日移転を了す。・・・・・・・・・・ |
504-0814 岐阜県各務原市蘇原興亜町4丁目4番地の8 |
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各務原市支部 771 |

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八幡神社
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創祀未詳と雖も元禄八年八月再建。享保十二年再建。・・・・・・・・・・ |
509-7603 岐阜県恵那市山岡町上手向2666.2664番地 |
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恵那市支部 1627 |

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八幡神社
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(大野郡祭神記)当神社は里説に清和天皇貞観年中筑紫宇佐より大神を石清水に奉請し給ひて、国々にも大神を祭らせ給ふ勅令により欣請せしと云ふ。(社内に千年の老杉あり)又往昔此地に八幡山浄光寺ありて当社の社僧たりしと(飛州志に浄光寺は天正年間までは巨刹にて州内48寺の総録所也)今に社地を浄光寺の森と云ふ。古・・・・・・・・・・ |
506-0026 岐阜県高山市花里町2丁目86番地 |
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高山市支部 1682 |

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八幡神社
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御名は譽田別尊、仲哀天皇の皇子。御母は神功皇后なり。皇后胚孕の御身を以て韓国を征平し給ひ、班師の時、筑紫の宇美にて天皇を誕生し給ふ。天皇御宇の間文学工芸を興し、皇威内外に輝し給へり。後聖武天皇の御代八幡大神と奉称す。当神社勧請年代未詳。寛延元年閏十月再建。古来当区の産土神なり。・・・・・・・・・・ |
509-3214 岐阜県高山市久々野町無数河1442番地 |
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大野支部 2178 |

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八幡神社
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創祀不詳。寛文五年時の領主小笠原土佐守より田一段二畝二十四歩寄付せられたり。境内二百九十坪。・・・・・・・・・・ |
503-1272 岐阜県養老郡養老町大場字宮屋敷251番地 |
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養老上石津支部 3134 |

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八幡神社
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年代は詳かならざるも、当社曾て祝融の災に罹り、古文書類焼失したり。故に文献の徴すべきものなきも、口碑の傳ふる処によれば、創立の由来は今を去る数百年前、当村近傍に敬神の念殊に深き農夫あり。その霊夢により、八幡大神の御出現を見、一宇の社祠を創立。崇敬したる由言ひ傳ふ。棟札は、延宝二年のものあり。明和七年・・・・・・・・・・ |
503-1262 岐阜県養老郡養老町小倉868番地 |
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養老上石津支部 3123 |

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八幡神社
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文化十二年創祀。その他由緒記載なし。・・・・・・・・・・ |
509-7321 岐阜県中津川市阿木字宮ノ越7166番地 |
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中津川市支部 2279 |

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