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八劔神社
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慶長元年側島太兵衛なる者岡邑に来住せしを以て開基とす。(西雲寺過去帳及口碑に依る)当時に於ける地形たるや原野沼沢相半ばし、高低只ならざる荒蕪地なりき。太兵衛すなわち、移民を招誘し、協力開拓に勤しむ、三年にして農戸五十余戸耕宅地又五十余町を募り一邑を形成す。邑あらば鎮守の社無かるべからずと偶霊夢に感じ・・・・・・・・・・ |
503-0307 岐阜県海津市平田町岡291番地 |
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海津市支部 634 |

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春日神社
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創立年紀由緒不詳なれども古来より氏神として地方民の崇敬あつし。・・・・・・・・・・ |
503-0413 岐阜県海津市南濃町羽沢字春日北333番地の1の1 |
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海津市支部 676 |

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八幡神社
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詳細
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創立年月不詳なれど新撰美濃志に依れば五町村は河戸庄尾張御領とあり、其の枝郷一所見淵村あり。元和高帳に二淵とあるはここの事か。今に「ぶち」とは云はずして「みぶち」と呼べり。八幡神社は村内にありと記せるを見る。これに依りて元和年中に存在せる神社なるを知る古社なり。新撰美濃志は天保十四年直後の編纂なるが故・・・・・・・・・・ |
503-0645 岐阜県海津市海津町五町字五町106番地 |
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海津市支部 737 |

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大将神社
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創立不詳なれども、伝説に日本武尊が伊吹山にて毒蛇の気に中り病体となり、南下せらるる砌一泊して憩ひ更に南下して伊勢の能登野にて薨去せられたるを伝聞して後茲に尊を祀った者と云ふ古社なり。・・・・・・・・・・ |
503-0535 岐阜県海津市南濃町松山字辰ケ平1563番地の1 |
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海津市支部 688 |

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白山神社
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創立年月縁由不詳。古来村社。寛文八年当社再興の棟札を蔵す。・・・・・・・・・・ |
503-0401 岐阜県海津市南濃町津屋2299番地の1 |
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海津市支部 648 |

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御靈神社
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当氏子部落はもと同地域松木部落の氏子区域として松木鎮座御霊神社の氏子であったが、大正十四年部落の談合により分離、分社を奉齋して独立、現在に至る。昭和47年に至り、神社維持管理並びに神徳昂揚を期するため、宗教法人設立の手続きを行ふ。・・・・・・・・・・ |
503-0606 岐阜県海津市海津町田中字江東499番地の1 |
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海津市支部 701 |

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神明神社
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創立年月日不詳なれど本阿弥新田開発者佐野紹益が村民の為に慶安五年(承応元年)に神明社並に三十番神社を勧請して鎮守の神とした事が本阿弥新田史にあり。これが現今の村社である。・・・・・・・・・・ |
503-0633 岐阜県海津市海津町本阿弥新田字村内159番地 |
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海津市支部 729 |

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若宮八幡神社
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創立年紀不詳なり。延宝八年十二月十四日再興。往古本村の大橋伊左ェ門旧宅地の側に鎮座ありたるを元禄五年当境内へ移転す。本社神實の儀は明治四年三月旧大垣藩神祇方巡回改めのところ仏体につき、遷換を命ぜられ、更に幣帛を納め神實と崇め奉り石仏体は大橋伊左ェ門縁由ある故によりて旧藩へ伺決の上同人宅へ移安す。因み・・・・・・・・・・ |
503-0407 岐阜県海津市南濃町徳田字大原399番地の2 |
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海津市支部 662 |

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神明神社
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詳細
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勧請年月不詳。其の后延宝二年九月二十九日火災にて社殿棟札書類共々不残焼失に相成同年十二月十五日一村一同より寄進再建。大正十五年八月二十五日祭神二柱増加許可。然し神殿内笏に依ると本殿再興遷座が寛政二年九月十五日実施されて居る。・・・・・・・・・・ |
503-0304 岐阜県海津市平田町幡長49番地 |
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海津市支部 630 |

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八幡神社
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詳細
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創建年月及縁由不詳・・・・・・・・・・ |
503-0625 岐阜県海津市海津町油島16番地 |
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海津市支部 721 |

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